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返答とは?/ スタッフィ

[ 254] 受精卵は人か否か Life Science Information Net produced by 最相葉月/岸本和世の「引退牧師の泣き虫説教」
[引用サイト]  http://homepage2.nifty.com/jyuseiran/sapo/kisi/kisi004.html

拝啓、先日の連載、おもしろく読ませていただきました。子どもを育てる身として、「なぜ子どもをもつのか」という問いは、やはり一度は考えてみなければならないだろうと思っています。わたしは、さしあたりこの問いを考えるうえで、「どのようにもつのか」という方法と、「なぜもつのか」という理由とは分けて考えるべきだと思っています。現代の生殖医療において、方法はそれこそ多様になりました。しかし「どうして産んだんだヨー」と詰め寄ってくる子どもが知りたいのは、そういうことではなく、やはり「理由」だと思うのです。
HowとWhyの区別ということは、もちろんそうです。ただ英語のHowを、わたしたちは単に「どのようにして」という技術的な意味での「子どものつくり方」とだけとらえてしまいがちですが、それ以上の事柄を含んでいるはずですから、注意して使わなければなりません。わたしが、第3回までのもので、それを上手に表現していたかどうか、気になりますが…以下は、下記に。
(もちろんいわゆる生殖補助医療を受ける親は、自然妊娠の場合よりも、「手間暇かけて」子どもをつくるわけですから、それだけ理由の問いにさらされやすいとは思います。(大変なことをするには、「それなりの」理由が必要ですから。)だから両者のあいだに違いがないというわけではありませんが。)理由の問いに対する一つの答えは、岸本さんもおっしゃっているように、「できちゃったから」でしょう。この答えは、「理由はない」ということ、つまり妊娠─出産は「自然の」プロセスなので、親の考え(意志)が介入する余地などなかったということです。あるのは自然因果のプロセスだけだというわけです。
私はこの答えがそれほど悪いものだとは思いません。(この理由を述べる人は、「本当に」そう考えているかもしれませんし、「あなたを産むつもりはなかったけれど」を必ず前に添えるとも限りません。)そしてこの説明によって納得する子どももいるかもしれません。
わたしが「あなたを産むつもりはなかったけれど」と書いたときに頭の中にあったことは、夫婦の性の営みは、「受精」に至る可能性があるという思いを、いつも持っているわけではない、ということ、すなわち子どもが生まれてくる過程の中に、「可能性」というものを念頭におかない「性の衝動」―そこに”愛”の「表現」という意味合いが秘められているとしても(ちょっと、微妙な心理的分析が必要な気がしていますが)―が優勢である場合を考えていました。「出来ちゃった」という言い回しは、それを意味したつもりです。
しかしわたしたちは、そもそも「避妊」というかたちで「意図的に」妊娠を阻止することができます、言いかえれば、自然妊娠は、あえて避妊をしなかったという点では決して「自然」ではないと考えられますし、たとえ妊娠した後でも、わたしたちは現実として「もう一度」その妊娠を続けるのかどうかを「決定」できるわけです。つまりここにはどうしても「理由」が必要になると思います。(生殖技術を用いる場合には、そもそも受ける時点で。)
「避妊」という手段を使っているということは、「この時点で産むつもりはない」という選択でしょうが、前に情報で流したように、つねに人工的な避妊手段を用いているなら“大丈夫”なのかもしれませんが、カトリックが推奨している「荻野式避妊法」その他の方法では不確かだという報告もあるし、確かにそういう意味で「避妊していたのに、出来ちゃった」ということは、例外的ではなく、普通の経験のように思うのです。「つもりはなかった」などとは言わないにしても、このあたりの“事実”は、子育ての中で無意識のうちに作用することがないと言い切れません。
私はこの「理由」をまだ明確な言葉にできませんが、それはすごく「エゴイスティック」なものなんだろうと思います。子どもをもとうと思うのは、何というか、二人が「同じ」であるということの証──これを愛の証と呼ぶのには抵抗があります──をもとうとすることだと思うのです。(だからここでの「エゴ」は、「私」というよりも、「わたしたち」、否、「同じである限りでのわたしたち」です)
自分の子どもを、この「エゴ」の結果と言うか、「証」として受け止めるか、そこにはHowとWhyとを分ける分水嶺があると思います。Howの方から捉えるのは親の側を主にした捉え方であり、Whyのほうからのは子どもの側を主にした捉え方といってもいいように思います。であるとしても、下記のような分水嶺のはっきりしない、微妙なものが含まれているわけです。
たしかに「生まれてくる子の幸せ」もあるかもしれません。しかしそこで私が望んでいたのは、きっと「私たちと同じ──似ている──子ども」の幸せであったはずです。その限りで私(たち)はエゴイスティックなのです。本当にうまく言えませんが、少なくとも生まれる以前、私が夢見ていたのは、そうした同一なものの広がりだったと思います。(このことはとくに、私が「男」であるという点にも原因があることを否定しません。)
堂囿さんの、お連れ合いへの「ラブレター」ですね。お連れ合いからどんな「返信」が寄せられるのか、ぜひお聞きしたいですね。お二人が同じことを言われるのか、やっぱり「男性」と「女性」では違う、ということが判明するのか…。
もちろんこんなことが私の甘っちょろい夢想であることは、実際に子育てをしてみてすぐに分かりました。私は妻とほとんど同じ時間、子育てをしてきましたが、そこでなによりも感じたのは、子どもや妻が私とはまったく「違う」ということです。私は子育てから、はじめて自分とは違う他者を尊重することがどういうことかを学んだような気がします。だから「なぜ子どもをもつのか」という理由は、決して「なぜ子どもを育てるのか」という理由にはなりえないのです。私にとって子どもは、常に広がろうとする私のエゴをせき止め、挫かせてくれます。子どもは、同一なものの広がりではなく、同一なものの制限として私の側にいると思うのです。
どうも、堂囿さんは「違ったもの」になりそうな予感をしておられるようですが。わたしの場合だったら、経験として言えるのは、違うものになっているのは避けられないということです。
「するとあなたのエゴを制限する「から」あなたは子育てをしているのか。これでは結局のところ子どもは「利用価値」しかもたないのではないか。」そう問われると返答に窮しますが、しかし少なくとも、私は「利用してやろう」という「目的」=「意図」をもっているわけではありません。「結果として」私はつねに子どもや妻に救われているのです。
「子どもや妻に救われている」。素敵な言葉ですね。これは、わたしが予感している「子どもをもつ」ことについての答え(意味)の、大切な側面だと思います。 こういう言い方の中に、お気づきかと思いますが、わたしが「子どもをもつ」というテーマを取り上げたのは、答えを持っているからではなく、またこの問いにはひとつだけ正解があるはずだと考えているからではありません。実は、わからないでいることを、とことん問い詰めてみたい、そうすることで自分自身の(わたしは親の子どもであるし、子どもの親であるので)「生と性」をしっかりと見つめていこうと願っているのです。
だからといって子どもは主体的価値をもつのかどうか、私には分かりません。言葉にできないのが悔しいのですが、私はどうしても、子どもは主体的価値をもっている「から」育てられる(べきだ)という考えに違和感を覚えます。私は、子育てという行為に理由を求めることが妥当なのかどうか、かりに妥当だとして、子育てする当人の利益のためなのか、育てられる子ども自身のためなのかという二分法が(それら両者が混ざり合っているという可能性も含めて)適切なのかどうか、こうした問いからもう一度、しっかりと考える必要があると思っています。
これは、今後のわたしたちの宿題なのでしょうから、もっといろいろな方に議論に参加していただきたいと思いますので、よろしく。
本稿の流れを受けて投稿された小説家・渡辺由佳里の「アメリカ生殖医療の現状」/号外「子どもが欲しい、という感覚
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[ 255] ブクマの返答 - 解決不能
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/hagakurekakugo/20080524/p2

別に釣ってるつもりはないんですけどね。正直に書いただけで釣りって言われる現状はなんとかならないかなー。
通報しませんでした。面倒なので。でも正直言って貴方の人間性疑われますよ?つか、私は疑ってます。
表現の自由が侵害される危険があるから反対してる人もいるようですが。その上から目線は損しますよ。
>再度お聞きしますが管理人様はロリコンエロゲの何が問題でどう規制すべきどう見ても小学生です、本当に(ry的な絵とそれを売りにする事。を「自主」規制すべき。>所詮マイノリティなんだからマジョリティの偏見と圧力の前には小声じゃ何言ったって小声ってのは比喩的表現です。感情的にではなく理性的にって意味ですよ。>「上から目線」は「天然か」に対するレスですよ。
「被害者の利益は嗜好者の利益よりも重んじられるべき」とダイアリの日付欄に書いておられるのですが、所謂エロゲーが販売されることによって被害を被っているのは誰なのでしょうか。コメント欄に「どう見ても小学生です本当に(ry」とお書きになられているのですが、そのような描写を伴うソフトウエアが販売・流通すすることによって具体的な被害がどのように発生し、どのような被害が起きたのか宜しければご教示くださればと思います。
コメントに対する解答を見ていると、「必要なの?」「間に合わせられないの?」という部分は「欲しいの?orやりたいの?」「間に合わせるのは嫌なの?」と読み替えても大丈夫そうでしょうか。どうも、必要という言葉の解釈ですれ違っているコメントが多いように思いました。私は、欲しいです。AVやエロ本で我慢するのは嫌です。
ululunさん>「被害者の利益は嗜好者の利益よりも重んじられるべき」とダイアリの日付欄に書いておられるのですが、所謂エロゲーが販売されることによって被害を被っているのは誰なのでしょうか。そちらは実写の児童ポルノの単純所持についての話なので、エロゲ規制とは別の話です。必要?さん>「必要なの?」「間に合わせられないの?」という部分は>「欲しいの?orやりたいの?」「間に合わせるのは嫌なの?」と読み替えても大丈夫そうでしょうか。大丈夫のように思えます。>私は、欲しいです。AVやエロ本で我慢するのは嫌です。こう真正面から回答されると、やはり必要としている人は相当数いると感じられますね。
>どう見ても小学生です、本当に(ry的な絵とそれを売りにする事。>を「自主」規制すべき。(まず「どう見ても小学生です、本当に(ry的な絵」の何が悪いの?という点はいったん置いといて)そもそもこの「どう見ても」の基準から問題(というかわからない)なんですよ。まずベース論として福島みずほのどきどき日記 「児童ポルノについて」よりhttp://mizuhofukushima.blog83.fc2.com/blog-entry-681.html> 判定をする人間、最終的には、裁判官が、アニメのこの子は、19歳に見える、いや17歳くらいだろうと判断をすることになる。 はっきり言ってそれは、不可能であり、かつ恣意的になる>しかし、アニメやマンガは、どうやって、18歳未満かどうかを決めるのか。 人によって、判断が全く違ってくるだろう。 豊満な体をしているが、顔は、子どもっぽいので、15歳、いや、こんな童顔の女性もいるから、18歳を超えているとなるのだろうか。判定などだれもできないし、恣意的になるし、何が、誰が正しいかなんて、全く言えない。 処罰の範囲が全くわからないのである。 全く恣意的になってしまうし、処罰そのものの正しさの立証ができない。 絵の人物が何歳に見えるかという愚かなことをするのだろうか。 不可能なことをし、かつ、それが、処罰の対象になるということには、無理がある。>実在の人物の場合は、年齢は一義的であり、明確である。 18歳以上か未満かは、はっきりする。> アニメやマンガで描かれている女の子が、男の子が、18歳以上か、未満かはっきり言えるだろうか。 もちろんとてつもなく幼い子という描き方もあるだろう。しかし、境界線上でわからないという場合も実は多いだろう。> 法廷で、いや18歳以上に見えると論争をするのだろうか。まず「自主」規制しろといわれてもいったい誰が「どう見ても小学生」を判断するの?については今のアニメやエロゲの主流のいわゆる「萌え絵」ってデフォルメと記号表現の手法を狭いヲタ文化の中で脈絡とやってきたものだから業界の現場の人やヲタと非ヲタ(政治家含む)とでは主観のベースが日本人とアメリカ人の笑いのツボ(特にインテリジェントなものになるほど)ぐらい異なると思うんです。だから代議士に目をつけられたところで当事者たちには「何がマズイのかわからない」ってところで絶対揉めますよ。それをふまえると「売りにする事。」ったてこれも主観まじりで具体的な話じゃあないでしょ。(広告のコピー?専門誌の批評?)>ululunさん>>「被害者の利益は嗜好者の利益よりも重んじられるべき」とダイアリの日付欄に書いておられるのですが、所謂エロゲーが販売されることによって被害を被っているのは誰なのでしょうか。>そちらは実写の児童ポルノの単純所持についての話なので、エロゲ規制とは別の話です。だからululun様も(エロゲ規制の話をしてる)こっちのコメント欄に書き込まれたのでは?で、さっき一旦置いた話を戻してきて>「被害者の利益は嗜好者の利益よりも重んじられるべき」とダイアリの日付欄に書いておられるのですが、所謂エロゲーが販売されることによって被害を被っているのは誰なのでしょうか。の部分について管理者様のご意見をお聞かせください。

 

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