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無差別とは?/ スタッフィ

[ 293] 青酸コーラ無差別殺人事件
[引用サイト]  http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/seisan.htm

駅前の第1京浜国道を横断し、そこから約200メートル南の港区高輪4丁目のスケートセンターわきの電話ボックスの前を通りかかったとき、女の子の1人がボックスの下に10円玉が落ちているのを見つけた。ボックスの中折れドアを押し開くと、コカコーラの普通サイズびん1本が床に転がっているのに気付いた。
コーラは最近では缶容器が主流になっているが、当時はまだびん容器全盛だった。普通サイズは190ミリリットル。
転がっていたとはいえ、栓もしてあり、誰かが、電話しながら忘れていったのだろう。「ラッキーだな、拾っていけよ」という仲間の声に、女の子は「私、コーラは飲みたくないから」と一番若いアルバイト高校生の檜垣明(16歳)にコーラを渡した。
檜垣明は、京都市に住む府立洛東高校1年生で、父親が国鉄(現・JR)職員ということもあり、冬休みを利用して新幹線内食堂の会社で、12月30日から、東京〜大阪間でビュッフェのボーイとしてアルバイトしていた。
午前0時15分ころ、6人は寮に着き、めいめいに入浴したあと、午前1時ごろから2階の娯楽室に数人が集まってビールで乾杯した。明はビールを飲み終わったあと、隣りの食堂に置いていたコーラを取りに行き、栓を抜き、一気に飲もうとした。
明は口に含んだコーラを吐き出し、水道の水で口をすすいでいたが、コーラを口にして5分くらいで、突然、倒れた。両こぶしを握ったままうつ伏せに倒れた明は、すでに意識不明の状態に陥っていた。
すぐに、救急車を呼んで、近くの品川総合病院に運ばれ、気管支を切開して、胃洗浄をするなどの処置を施したが、明は午前7時半過ぎに死亡した。検死の結果、体全体はピンク色に染まり、青酸中毒死特有の症状が見られた。
110番通報を受けた高輪署では、コーラびんを警視庁科学検査所に送って毒物鑑定を行った。その結果、びんからは青酸反応を検出した。
午前8時15分ころ、明たちが青酸コーラを拾った電話ボックス(以下・第1現場)から、第1京浜国道を約600メートル北へ行った歩道上に、作業服姿の中年男性の菅原博(46歳)が倒れているのを、近くの会社員が発見した。110番通報で近くの病院に運ばれたが、すでに死亡していた。
菅原博は、下関市出身。戦争が激しくなった頃、山口県厚狭(あさ)郡に疎開し、地元の農芸高校を卒業したあと、父親の林業を手伝っていたが、厳しい父と折り合いがよくなかった。30歳で離婚した後、窃盗で2度逮捕されるが、起訴猶予と執行猶予で実刑には至らなかった。その後、故郷を離れ岡山で寸借詐欺事件を起こし、その任意の取調べ中に逃げ出し以来、13年間消息不明だったが、4日の訃報でその消息が家族に知らされることになった。菅原の身元が判明したのは、皮肉にも以前逮捕された際に取られた指紋のおかげであった。
この遺体には外傷はなく、所持品も現金25円とショルダーバッグにドリンク剤とタオル1本が入っていただけだったため普通の
警視庁が改めて、菅原が倒れていた港区高輪3丁目付近の歩道(以下・第2現場)を調べたところ、遺体があった場所にはコーラを吐いた跡があり、そこから約100メートル離れた電柱の下に、栓のない中身が減って7分目ほど残っていたコカコーラの普通サイズびんがあった。
近くのガードレールには、コーラの栓を引っかいて開けたらしいキズがついていた。さらに、コーラがあった電柱から約10メートル先の公衆電話ボックス内には、コーラをこぼした跡が残り、電話ボックスと電柱の間にはコカコーラの王冠が2個落ちていた。このいずれからも、青酸反応が検出した。
警視庁はまだ、他にも毒入りコーラがばらまかれている可能性があるとみて、近隣署の警官を動員して辺り一帯を捜索。
午後0時50分ころ、第1現場から約600メートル離れた品川区北品川1丁目の永谷商店前の赤電話の棚(以下・第3現場)に、栓のついた普通サイズのコカコーラが放置されているのを品川署員が発見。鑑識の結果、中からはかなり強い青酸反応を検出した。
品川署員がこのコーラを発見する直前、永谷商店の裏に住む中学3年生のAは、祖母からお使いを頼まれて店の前に出ると、赤電話の台の棚にコーラが置いてあるのに気がついた。丁度、のどが渇いていたので手にしようとしたが、コーラの上の方が普通のものより、少し色が薄くて変に思ったことと、お使いに遅れるので、戻ってきてから家に持ち帰って飲もうと思っていた。10分後、お使いから戻ると、すでに捜査員が来ており、Aはそのコーラが毒入りであることを知る。
実は第1現場でもこれと似たようなことがあった。死亡した明が青酸入りコーラを拾う50分ほど前の3日午後11時10分ころ、現場近くに住む中学2年生のBが、長野にスキーに行った帰り道で友達に電話しようと、電話ボックスに入り、友達と話しをしているとき、床にコーラが転がっているのに気が付き、電話をしながら拾い上げた。そのとき、「プシュ」という軽い音がして栓の隙間からコーラが少し漏れ、親指と人差し指を濡らした。彼はこの人差し指をペロリとひと舐めした。苦味があった。簡単に栓が取れそうなので、おかしいと思い、いったんは飲むつもりだったコーラをまた床に横倒しにした。
警視庁科学検査所で、コーラに含まれていた青酸化合物を分析した結果、毒物は青酸ナトリウムであることが判った。青酸ナトリウムは「毒物及び劇物取締法」に指定された毒物で、正式にはシアン化ナトリウム、俗に青酸ソーダとも呼ばれる。青酸カリウム(青酸カリ)同様に、人間の致死量は0.15〜0.2グラムと毒性が強い。一般には入手しにくいが、金、銀、亜鉛などの冶金(やきん)やメッキには欠かせない薬品で、犯行現場付近から川崎・横浜にかけての工場街にはメッキ工場も多数ある。
第1現場と第2現場が面した第1京浜国道沿いには、高輪プリンスホテルやホテル・パシフィックが並び、その裏手に当たる西側は昔からの高級住宅街になっている。一方、海岸寄りの第3現場は、下町風情を残す入り組んだ町並みであった。3つの現場は品川駅から半径300メートル以内の範囲にある。
付近の住民らの目撃証言から、第1現場のコーラは、3日午後7時半〜午後8時に置き、それから第2現場の電話ボックスに仕掛けようとするが、何らかの理由でこぼれてしまい、4日早朝に再セットし、それから第3現場の赤電話に仕掛けた、ということが判った。
第1現場のコーラは、残量が少ないため、正確な分析結果は出なかったが、明が口に含んですぐ吐き出したにもかかわらず死亡しているため、致死量の0.15グラムを上回っていることは間違いない。
第3現場のコーラ(警察のよって発見され被害者なし)は、なんと、致死量の60倍近い約9グラムの青酸ナトリウムを検出した。
「テスト」を繰り返していたという見方を強めた。場所は品川駅前の「ざくろ坂」。前年11月中旬から犯行当日の1月3日まで、この坂の植え込みの中や歩道の縁石、電話ボックス内などに、中身の入った普通サイズのコーラびんが置いてあるのを十数人が目撃していた。しかも、置きっぱなしというのではなく、数日経つと5〜10メートルずつ場所を移動させていた。これらのコーラは、被害が出ていないため、青酸ナトリウムが混入されていたかどうかは不明。
前年の12月20日は、小学生ぐらいの子どもが、植え込みの中のコーラを拾い、飲もうとしたところで、歩道に落として割っているところを会社員が目撃しているが、2日後には同じ場所に、新しいコーラが置かれていたことが判った。あたかも補充されたかのようである。
放置されたコーラに対して、通行人がどのような反応を示すかを調べようと、テストを繰り返していたことが考えられた。
犯人の有力な手掛かりになるのは、残されたコーラびん3本と王冠4個だが、指紋は残されていなかった。王冠にはいずれも「T」の記号が入っており、これは東京都東久留米市内の東京コカ・コーラボトリング会社多摩工場製であることを示していた。
製造されたコーラは遅くとも2週間以内に店頭に並び、製造から2ヶ月以内には売り切るように小売店を指導していたという。
一つは、犯人は社会的に恵まれず、日ごろの不満を歪んだ形で爆発させたという見方。世間一般が1年中で最も華やいだ気分になる正月早々を犯行時期に選んでおり、この事件の数年前に流行した、晴れ着に硫酸や塩酸をかけるといういたずらと共通した心理がある。
もう一つは、猛毒性の青酸ナトリウムを偶然手に入れた犯人が、その毒性を試したくて、実験したという見方。
青酸ナトリウムは、メッキ、印刷、写真製版、金属の焼き入れやサビ落し、塗色、殺虫剤、パチンコの玉洗いなど用途が広く、これらの工場で働いていたり、かつて働いていたことがある者の可能性もある、としている。
ちなみに、「愉快犯」という言葉はこの事件から生まれたらしい。「愉快犯」といえば、この青酸コーラの事件が起きた頃、「“火曜日の放火魔”事件」が起きている。1976年(昭和51年)11月から3ヶ月に渡り、東京都新宿区の盛り場34ヶ所で放火事件が発生していた。必ず月曜の夜から火曜の未明にかけての出来事なので、テレビの中継車が出て、火の手を待つという騒ぎになった。翌1977年(昭和52年)2月1日火曜日未明、放火現場を張り込み中の機動隊員に、34件目でついに逮捕された。犯人は長沢重治(当時31歳)で理容師だった。「私は同性愛者です。歌舞伎町のサウナや新宿2丁目のスナックでいい相手が見つからないと面白くなかった。火が燃えると、野次馬やマスコミが騒ぐから気分がすかっとした」と犯行の動機を供述した。犯人の長沢は姉4人の中に末っ子の長男として育った。借金をつくった父親が小田急線に飛び込み自殺を図った後、世田谷区祖師谷の理髪店を継いだ。定休日の月曜日になると、夜の新宿に出かけては朝帰りをしていた。新宿で放火をする前に自宅周辺で14件の犯行を重ねていたことも明らかにした。人付き合いの苦手な性格で近所でも目立たない存在だった。27歳のときに見合い結婚したが、妻の体には一度も触れずに3ヶ月で離婚した。その後、男の裸体を物色しに新宿2丁目や歌舞伎町のサウナに出没するようになった。裁判で長沢に懲役10年の判決が下った。青酸コーラの事件が起きた同年1月4日の火曜日未明にも、歌舞伎町で7軒が火事で全半焼したが、これも長沢の仕業だった。
東京で、青酸コーラ事件発生以来、懸命の捜査は進められていたが、今度は大阪府藤井寺市で、これと似た手口の不可解な結末を迎えた事件が発生する。(↓)
東京での事件発生から1ヶ月余りが経った、1977年(昭和52年)2月13日午前6時20分ころ、菓子運送会社の運転手のC(39歳)は、出勤途中にタバコを買おうと会社の数百メートル手前にある酒屋に立ち寄り、自動販売機でハイライトを買ったが、販売機の上にびん入りコーラが置いてあるのに気づき手に取った。2メートルほど横の公衆電話の台に、もう1本あったが、これは8分目しか入っていなかったため、誰かの飲み残しだと思い手を付けなかった。
拾ったコーラを持って、仕事先の菓子会社の流通センターへ向かう。同僚たちは「そんなん飲んだらあかん。何か入っているかもしれへんで」と忠告したが、Cは「一口飲んだけど大丈夫や」と、表に出て残りのコーラを一気に飲み干した。
そのまま、少し歩き出したところで、急に気分が悪くなったCは、事務所のシートに横になると、「手がしびれる」「寒気がする」と口走り、驚いた同僚は救急車を呼んで、午前7時半ごろ、病院に担ぎ込まれた。点滴などの応急処置を受け、約1時間後には意識を回復した。このとき、病院側はCが体調を崩したか、腐ったコーラに当たったか、という程度の判断を下している。
2人は車を飛ばして会社近くの酒屋へUターン。電話台のすみに中身が8分目ほど入ったコーラを見つけた。はめていた手袋のままコーラを手に取り、手で王冠を引っ張ると簡単に栓が開いた。
羽曳野(はびきの)署でこのコーラとCが飲んだコーラを分析したところ、毒物反応は出なかった。念のため、大阪府警科学捜査研究所に送って分析した結果、青酸反応を検出した。
聞き込み捜査の結果、問題の酒店にコーラが仕掛けられたのは、同日の午前6時からCがコーラを見つけた午前6時20分のわずか20分の間だったことが分かった。
と注意したばっかりなのに・・・・・・、不細工な話しや。関係ない人間を巻き込むなんて無茶苦茶や。自分でも防衛せないかんと分かっていたのに。かっこ悪い、かっこ悪い」
玄関先で応答がないことに不審を抱いた捜査員が家の中に入ると、Cは2階の居間で階下の台所のガス管からホースを引き、頭からビニール袋をかぶって倒れていた。捜査員からの連絡で救急車が呼ばれたが、すでにCは死亡しており、家族が全員出掛けて留守の間にガス自殺したものと断定された。遺書らしきものは残されていなかった。
Cは妻に「こんな騒ぎになって恥ずかしい」としきりに漏らしていたらしいが、自分のうかつさを思い余っての自殺とは思えない。
(1)Cがコーラを持ち歩いているところは同僚が見ているが、実際にCがコーラを飲んでいるところを誰も見ていない。病院での臨床尋問でも、「現場で一口飲んだ」とか「会社の栓抜きで開けて飲んだ」など供述が変わっている。
(2)東京での事件をよく知っており、子供にも「拾ったコーラは飲むな」と注意したばかりなのに、あえて自分が飲むのは不自然。
(3)救急車で病院に運ばれたとき、自分で歩いて診察室に入っており、血圧や脈拍ともに、正常だった。Cの体には青酸中毒特有の血球異常やチアノーゼ反応もなく、医師も毒物の中毒とは考えられず、問診の結果から肝機能の低下と診断して点滴3本という治療しかしていない。その1時間後に回復の兆しを見せており、むしろ、青酸コーラの被害者と分かって病院側が首を傾げたという。
そのほかにも、多少の借金があったこと、前年まで大阪のクギ販売会社に勤め、メッキ工場に知り合いがいることなども判明したが、何よりも家族仲がいいCが
“青酸コーラ事件の被害者を自作自演する” という動機がなかった。なんとも不可解な事件であった。
1977年(昭和52年)2月14日(バレンタインデー)、東京駅の地下にある八重洲地下街の南端の階段通路にグリコのアーモンド・チョコレート40箱が入ったショッピング袋を会社社長が発見し交番に届けた。
このチョコレートは10日間保管されたが、落とし主が現れなかった。食品の落し物の場合はメーカーで換金して6ヶ月後に拾い主に渡すのが慣例になっているため、24日に江崎グリコ東京支店に引き渡された。
同支店で調べたところ、どの箱もセロハンを切って貼り直したあとがあり、箱のフタにあるロット番号(製造番号)がすべて切り取られていた。不審に思った同支店では、25日、大阪の江崎グリコ本社・中央研究所に送って検査を依頼した結果、40箱すべてから1箱につき1粒ずつ、致死量にほぼ達する青酸ナトリウムを検出した。そのうちの1箱の中箱の裏にはカタカナのゴム印を使って、<オコレル ミニクイ ニホンシンニ テンチュウヲ クタス>という文字が記されていた。・・・「おごれる醜い日本人に天誅を下す」を意味する濁点のない「犯行声明文」であった。結局、青酸コーラ事件との関連性も判らないまま迷宮入りになってしまう。
1977年(昭和52年)3月15日の午後1時半ころ、横浜市鶴見区内のメッキ工場で、工業用青酸ナトリウム20グラムが騙し取られる事件が起こる。白衣を着た男は、横浜市の公害対策局水質検査員「森一道」の名刺を出し、「お宅で工業用の青酸ナトリウムを扱っていますね。検査します」と告げた。一連の青酸混入事件でメッキ工場への立ち入り検査が厳しくなっていたため、メッキ工場の社長は男の言葉を信用して、青酸ナトリウムの錠剤を見せ、求められるままに工場の施設を案内して説明していた。
そこへたまたま得意先からの電話が入り、社長は席を外した。電話が終わって戻ってみると、男の姿がなく、男に手渡して見せていたはずの錠剤型をした20グラムの青酸ナトリウム1個もなくなっていた。社長が横浜市公害対策局に電話で問い合わせると、名刺の「森一道」という人物はいないという返事だった。驚いた社長は鶴見署に届け出た。
2日後の17日、北の空を舞台に奇異な事件が発生した。一日に2件もハイジャック未遂事件が起きたのである。最初のハイジャックは午後1時ごろだった。千歳空港から仙台空港へ向かっていた全日空ボーイング727型機(乗員・乗客43人)が青森県下北半島上空を飛行中、若い男がスチュワーデスにジャックナイフを突きつけた。しかし、乗客の協力ですぐに取り押えられた。男は東京教育大(現・筑波大学)哲学科を中退した無職の27歳で、ノイローゼ気味。犯行の動機は「外国に行きたかった」というものだった。
もう1件は午後6時半過ぎだった。羽田発仙台行きの全日空ボーイング727型機(乗員・乗客180人)が離陸して2分後、若い男がスチュワーデスにピストルのようなものを突きつけ「俺はハイジャックだ。機内アナウンスしろ」と要求した。このアナウンスでハイジャックを知った機長は、男が具体的な要求をしてこないため、ハイジャック信号を出すとともに羽田空港へ引き返し、午後6時44分に着陸した。
男は舞い上がっていたのか、着陸したことにも気づかず「東京と仙台の間を燃料がある限り飛び続けろ」などと要求し始めたが、まもなく羽田空港に戻ったことを知ると、機内前部のトイレに逃げ込んだ。午後7時15分、空港署の捜査員が機内に突入してトイレに踏み込むと、男は壁にもたれかかってぐったりしていた。乗り合わせた医師が診察すると、男はすでに死亡しており、男の吐いたものや唾液、機内の配膳カウンターに男が置いたと見られる小びんから強い青酸反応を検出した。ハイジャックに失敗したため青酸化合物で自殺したものと見られた。その後、男の身元は東京都葛飾区柴又生まれの暴力団員O(26歳)と判明した。
19日夜、Oが宿泊していた横浜市中区の簡易宿泊所を家宅捜査したところ、鶴見区のメッキ工場から盗んだ青酸ナトリウムの残りを発見した。同工場の社長らが首実検したところ、横浜公害対策局と偽った白衣の男と同一人物であることが確認された。一連の青酸混入事件とOの関連が疑われたが、犯行当日にはアリバイがあり、関連はないという結論になった。青酸ナトリウム詐取とハイジャックの目的ははっきりしなかった。

 

[ 294] カトラー:katolerのマーケティング言論: 無差別殺人の時代、ノーカントリーな日本を生き延びろ!
[引用サイト]  http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2008/04/post_3afd.html

コーエン兄弟の「ノーカントリー」を地元のシネコンで見たのは、土浦の駅頭で24歳の男が無差別殺人を引き起こす一週間前だった。
もし、事件が起きた後だったら、スーパーの袋をぶら下げた主婦が行き交い、土浦と同じような日常風景の中にあるシネコンで、こんな映画はとても見る気にならなかっただろう。
映画「ノーカントリー」の舞台となっているのも、殺人事件などとは縁遠いはずの、メキシコの国境にほど近いテキサスの、のどかな田舎町だ。米国も日本も映画の世界だけではなく、日常の時間が流れている郊外の町中で、凄惨な無差別殺人が起きる時代になってしまった。
「ノーカントリー」に先立って、2002年にマイケル・ムーア監督が、コロンバイン高校で起きた銃の乱射事件を題材に「ボウリング・フォー・コロンバイン」という作品を制作した。この作品でも無差別殺人が、主題になっていたが、メッセージの中心は、銃が野放しの「銃器天国」としてのアメリカ社会への風刺と、そうした状況を許している政治家や業界圧力団体に対する批判におかれており、事件を引き起こした高校生の心の闇のことは、あえて素通りしていた。
コーエン兄弟は、無差別殺人を行う人間の心の闇に踏み込んだ。この役でアカデミー賞助演男優賞をとったハビエル・バルデムが演ずる、殺人機械といってもいいような主人公シガーは、銃のかわりに牛の脳天を一瞬にしてかちわるエアガンと圧縮空気のボンベを持ち歩いている。ここでは、無差別殺人の主人公は、銃ではなく、紛れもなく悪魔的な心性をもった人間である。物語は、ベトナム帰還兵のモス(ジョシュ・ブローリン)が、砂漠でトラックと複数の死体がころがっている麻薬取引の現場に偶然出くわすことから始まる。そこは麻薬取引の際に、何かしらのトラブルがあって、銃撃戦で殺し合いがあった現場だった。モスは、そこに置き去りにされた200万ドルという大金を見つけ奪ってしまう。消えた金を取り戻すために雇われたのが、殺し屋シガーで、老保安官エド・トム・ベル(トミー・リー・ジョーンズ)も加わり、逃げる男と追う者の逃亡劇として映画が進行する。
シガーはコインの裏表で殺しを決めるような「純粋悪」のような存在として描かれており、最終的には、彼の雇い主も含めて、登場人物を次々と皆殺しにしていく。このシガーという主人公は、金や麻薬など欲望によって動くような存在ではなく、彼なりのルールに従って次々と無慈悲に殺人を重ねていく。現代のわれわれを無慈悲に追いつめる得体の知れないものが、このシガーという主人公に象徴されているといってもよいだろう。そうした人倫を超えたモンスターのような存在を、われわれの社会は、生み出してしまったというのが、この映画が発している基本メッセージであるのだが、そのモンスターは、銀幕から歩み出て、われわれが生きている現実の日常世界を浸食し始めている。
土浦の無差別殺人の現行犯、24歳の男は、「殺す相手は誰でもよかった。たくさんの人間を殺せば、死刑になれると思った」と自供しているという。昨年、佐世保のスポーツクラブで銃の乱射事件があり、インストラクターの女性と犯人の友人男性が犠牲になった。この時は、コロンバイン高校の事件と同様、銃の所有許可証を安易に出していたことが社会問題化した。しかし、土浦の事件で使われた凶器は、そこら辺のスーパーならどこでも売っている家庭用の包丁だった。しかも、無差別殺人の動機が、「死刑になるため」だったということで衝撃が走っている。鳩山邦夫法務大臣は、就任以来、死刑執行の承認書にサインすることを公言しており、「死刑の執行を粛々と行うことが、凶悪犯罪の抑止力につながる」と述べ、死刑制度を機能させることが治安にとって重要であると主張していた。しかし、「死刑になりたいから、誰でもいいから人を殺した」と言い出すモンスターのような犯罪者を前にしては、返す言葉がないだろう。あろうことか、死刑を粛々と執行し、死刑制度が機能していることを示すことが、この男にとっては無差別殺人の動機になっている。
気休めの議論は、そろそろ止めにしよう。われわれの社会が、本当に問われているのは、銃の規制の問題でも、死刑の執行制度の問題でもない。理由なき殺人を易々と行える人倫無きモンスターを、この国や米国のような高度な資本主義社会が生み出しているという現実こそが問題なのである。誤解なきように言っておくが、「人倫無きモンスター」といったが、土浦の24歳の男は、異常者でも狂人でもない、どこにでもいるような、ごく平均的な24歳のフリーターである。
父親が外務省のノンキャリアだったとか、家庭環境や学生時代の行動などが色々報道されているが、これだけの事件を引き起こしたことを納得させるような「異常な過去」は出てこない。土浦の男だけでない、佐世保のスポーツクラブで銃を乱射した男も、コロンバイン高校の2人組にしても、土浦の男と同様、異常者として片づけることができない。事件後の報道などで、こうした無差別殺人の犯人たちは「キレ易かった」とか「カルト的なゲームにはまっていた」といった後付けの説明がもっともらしく語られている。しかし、それらは全て、普通の人間が人倫を超えたモンスターになりうるという、おぞましい現実を隠蔽するために語られているに過ぎない。
街に目をやれば、モンスターが溢れかえっている。学校の教師に理不尽な要求を繰り返すモンスターペアレント、メーカーや小売店に苦情をもちこみ、決して納得しないモンスターカスタマー、医師や病院の対応を誤診や医療ミスと言い立てて、全く聞く耳をもたないモンスターペイシェント(患者)。こうしたモンスターたちが、いろいろな分野で際限なく増殖している。もちろん、ここであげたモンスターたちが、無差別殺人を行った土浦の男と同じというつもりはない。しかし、彼らの歪んだ心を生み出した背景は共通しているように思える。
結論からいえば、モンスターが生み出されている根本要因は、グローバル競争の中で、個人の孤立と自己中心化が急速にすすみ、共同体的価値観、倫理(人倫)が崩壊していることにある。全ての価値基準が個人という単位に収斂し、行動規範の全てに自己責任が問われる、現在のような無慈悲な世界において、人倫、すなわち他者との関係のとり方が見えにくくなっている。17世紀の哲学者トマス・ホッブスがいうところの「万人の万人に対する戦いの世界」が現出しているのだ。 それに対してホッブスは「リヴァイアサン」を著し、「国家主権」の考え方を唱えた。リヴァイアサンとは旧約聖書に登場するいくつもの頭を持つという海の怪物のことで、ホッブスはこれを「国家主権」のメタファー(暗喩)としてとりあげ、「万人の万人に対する戦いの世界」が現出しているような混乱の時代にあって、社会の自然状態から生まれる混乱と対立を解消するために「国家主権」というフィクションを設定し、そこに個人の主権を委託すべきと唱え、それをこの幻獣リヴァイアサンになぞらえた。この話に倣えば、現代とは、幻獣リヴァイアサン(国家)が力を失い、逆に「万人の万人に対する戦いの世界」が再び現出している時代といえるかもしれない。だからといって、道徳の時間を増やして、愛国心や人倫の道を説きさえすれば、問題が解決するというような簡単な話ではない。なぜなら、これは、「資本」というものの本質、資本主義のシステムそのものに根ざした現象だからだ。
「資本」という地球を席巻した圧倒的な力が、人々に競争を強い、欲望をかき立たせ、自己責任という思想を吹き込み、人々の絆を断ち切り、地域コミュニティを崩壊させ、ひとりひとりの人間を孤立化させている。地球上の全ての人間を市場経済の中に組み込んでいくのが資本の隠された意図だからだ。残念ながら、この圧力は誰も止めようがなく、グローバル資本主義が支配する社会に生きる人間は、誰も「万人の万人に対する戦い」から逃れることができないのだ。
土浦の事件の後、岡山で18歳の少年が、ホームに居合わせた目の前の人を突き落として殺すという事件が起きた。少年の父親は、謝罪の記者会見を開いた。父親は憔悴しきっており、先週の土浦の事件をニューズ番組を見て、親子で「このようなことは決してやってはいけないね」と語り合っていたのに、その息子が・・・といって、天を仰いで絶句した。
岡山の少年の家庭は、父親に定職がないため、いわゆるワーキングプアの状態にあった。今時珍しい親思いの少年で、そうした家庭の経済状況を理解した上で、高校を卒業したら就職し、学費を稼いで大学に進学することを希望していた。事件を起こす前にはハローワークから求人票なども取り寄せ検討していたのだという。そんな肩を寄せ合って生きていた親子関係であったにもかかわらず、少年は「誰でもいいから」とたまたま目の前に立っていた男性を進入してくる列車めがけてホームから突き落とした。一方、土浦の青年は、高校は卒業したのだが、進学も定職にもつかず、フリーター生活をしており、家族から将来について色々いわれることが多くなっていた。土浦と岡山の事件は、同時期に起きた無差別殺傷事件ということで、一緒に論評されることが多いが、事件に至る経緯や背景は大きく異なる。しかし、そこに共通した心性を感じるのは、この2つの事件の犯人が、いずれも深く絶望していること、そして、何ものから追い立てられることから逃れたい、その追跡ゲーム自体を壊してしまいたいという衝動に突き動かされていたのではないかということだ。
彼らを無慈悲に追いつめていったものは、世間、学校、家族に姿を変え、執拗に選択を迫る。右か左か、表か裏か、ちょうど「ノーカントリー」に登場する殺し屋シガーが、出会った人間に、コインの裏表を言い当てさせ、それに命を賭けさせたように。映画の中でシガーに殺される人々は、シガーに訴える、「そんな賭けにのった覚えはないし、あなたが私を殺す理由もない」と。しかし、この問いかけは無意味なのだ。シガーにとっては、コインが表とでるか、裏とでるかが全てであり、そのルールしか意味を持たない。それでも殺される者は問いかける「これがどんな異常なことか、わからないのか?」実はその問いは、そのまま、私たちの社会に対して投げかけられるものでもある。われわれの住む世界は、いつしかルールと自己責任を問う、殺し屋シガーのように無慈悲なものになってしまった。誰一人として、そんな世界を望んでいないにもかかわらず、だ。
「ノーカントリー」の原題は「No country for old men」という。意味としては「年老いた者の国にあらず」というようなことだが、土浦と岡山の犯人にとっても、この国は、どこにも自分の居場所を見いだせない無慈悲な「ノーカントリー」となっていた。そして、彼らは、無差別殺人を行うことによってしか、その絶望から逃れ、無慈悲な追跡ゲームを終わらせる方法を考えられなかったのかもしれない。しかし、その企ては、根本において破綻している。というのも、彼らの意図をあざ笑うように、この世界は、彼らの犯行の後も無傷のままあり続け、耐え難い日常が続いているからだ。
ここまで、書いて、永山則夫のことを思い出した。永山則夫は、1960年代に米軍宿舎からピストルを奪って、4人を射殺した。死刑が確定し、収監された独房での読書と学習を通じて、「階級意識」にめざめ、生まれて初めて自己を発見する。無差別殺人という人倫を超えた行為によって、自らをモンスター化することで、世界に対して復讐を行った彼らだが、永山則夫のように、その行為自体が、「資本システム」の隠された意図によって仕組まれたものだったという苦い認識にめざめるなら、世界の見方が根本から変わるだろう。世界に絶望して自らモンスターとなるよりも、「怒りや叫びの声を上げて、この無慈悲な世界を生き延びろ」と永山則夫なら、今の若者たちにメッセージするだろう。永山則夫は、処刑の当日、親しい人々に対してかねてからそうすると言っていたように、全力で抵抗しながら死んでいったという。土浦と岡山の犯人たちが、永山のような心の旅路を辿りはじめることを望むが、それは、彼らにとって犯した罪の大きさを悟る修羅の道を歩むことでもある。
映画「ノーカントリー」のラスト近くでは、年老いた保安官が、この世界に現れたシガーのような新しい悪に怯え、自らの衰えと力の限界を悟り引退を決意する。自分と同じようにかつて保安官をつとめ、今は人里離れて独りで暮らしている父親のもとを久しぶりに訪ねるのだが、父親は老いた息子の苦悩を感じ取り、こう語りかける。
こういって、世界は、今だけでなく昔から苦しみと不条理に満ちているということを淡々と話すのだが、それに対して老いた息子は自分が昔みた夢の話をする。その夢の中で、息子は、闇夜の中、独りで道を往きながら不安におののいている。けれども、牛の角の中に火をともした父親が、きっと道の先のほうで焚き火をして待っていてくれるはずだと感じ取る。
岡山の事件を引き起こした少年の父親は、記者会見を開き、その中で「息子とともに、一生罪を購っていきたい」と述べていたのが、連続して発生した2つのやりきれない事件の中にあって、せめてもの救いだった。
更正して再び戻って来たとき、この少年は、父親が焚き火をして待っている姿を見つけることができるだろうか。
ちょっと前に起こった土浦の通り魔的殺人と死刑になりたいとして駅のホームから他人をつき落とした殺人について書かれていたブログを読んだ。
いま上田紀行さんの『かけがえのない人間』(講談社現代新書)を読んでいますが、ちょうどこのエントリと同じ問題意識に立って書かれています。とても多くの人、とくに若い人が「私は使い捨てられる人間だ」と深く絶望しているところからどうやって抜け出したらよいのか、と思考しています。
上田紀行さんの本のことは知りませんでした。「私は使い捨てられる人間だ」と思う絶望感と誰でもいいから人を殺すというモンスターの意識は、コインのように表裏一体のもののような気がします。
使い捨てられる人間を必要としている社会だから、そうした絶望感を持った若者がつくりだされる仕掛けになっている・・・そのことに気づき、抵抗者としての自己に目覚めたのが永山則夫でした。彼の生き方(死に方)をもう一度深く見つめ直すことが必要だと思っています。
グローバル化に限らず中世ではない近代社会の有り様が人間疎外を深める過程を進めて来たのではないでしょうか?
またグローバリズムへの反対が単なるスローガンでない行動で示されるとすれば、極端には「鎖国」しかなくなると思います。
現実に国内問題として考えるならば、日本政府は政策的にグローバリズムの国内への影響を遅延せしめつつ、事業の転業、或いは来るべき世界へ適応を、税制・プログラム的に支援する事を訴えるのが良いのではないでしょうか?
自分のことを無力で無価値な存在だと思い込んでいる人が、容易に犯罪を起こしたり、自殺したりするのでしょう。
構造改革路線は、”未来に希望をもてない人々”が社会の中で増加してゆくことを、景気回復のためと称して正当化しました。しかし、欲求不満な人々が増え続けることの対価は、高くつきます。第二次大戦も、欲求不満状態の大衆が(消極的であれ)政府を支持したから起こったのだと思いますし、郵政民営化が焦点だった衆院選当時の雰囲気と似たところがあるのではないかと想像します。
今の社会を無批判に受け入れて、その中でいかに生き残るか?と考えるだけではなくて、これからどんな社会を望むか?ということを、もう少しだけ考える必要があると思うのですが、こんな正論は、すでに絶望している人は考える余裕すらないのでしょう。
無力感や不安感、切迫感を人々を操縦するための道具として使う人には責任を問わなければならないと思います。

 

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