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られるとは?/ ノーローン

[ 192] 【ことばをめぐる】(981112)よう(助動詞),られる(助動詞),ら抜きことば
[引用サイト]  http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/k981112.htm

何が「ら抜きことば」か、〈知識人〉といわれる人でも案外分かってないらしいことについては、以前書きました。「ら抜き」ではない「振り返れる」という語を、「ら抜きだ」と解釈していたという話でした。
「見れる」「着れる」は間違いで「見られる」「着られる」がいいのだ、などとよく批判されます。でも、前者が間違いだとして、それがなぜなのか分からないまま、言われたとおりの語形を個別に覚えるしかない人も多いと思います。使い手が直観的に適否を判断できないような、そういう語法は、どうしても滅びてゆく運命にあります。
中学校の国語の教科書も、「活用形がどうの……」と説明していて、それは正しいのだけど、ちょっと子どもの記憶には残りにくい。明快さに欠けます。
教科書によっては言及していない本もありました。それは論外としても、こういう説明だけで「ら抜きことば」をやめる生徒は多くないでしょう。まして、学校を卒業して「何段活用」というのを忘れてしまった人には、なおさらワケが分からないかもしれません。
文法的に、考えに考えてやっと分かるようでは困るわけです。「ら抜きことば」の勢力拡大を阻もうとする人は、「何段活用のときは、ああで、こうで」と長ったらしく講釈するのはやめたほうがいいですね。それよりも、もっと簡潔に、次のようなスローガン(?)を広めたらどうでしょう。いわく、
ラ抜きかどうか心配になったら、その言い方の最後の「る」を取り除いて命令形としても使えるかを試せばいい。「走れる」の場合なら、「る」を取り去った「走れ」はまったく当たり前の命令だ。ラ抜きことばでないから使っていい。「走る」は五段動詞なのだ。これに対して、「見れる」の場合だと、「る」を取り去って「見れ」にすると命令形としてはおかしい。だから「見れる」はラ抜きことばによる言い方で、使わない方がいい。おかしなときには「見られる」のように「ら」を入れればよい。「見る」は一段動詞なのだ。
とのことです。語の活用の種類を特定するために、井上氏と僕とで異なる試薬を使っているだけなので、どちらの判別法でもOKだと思います。でも、僕の学生の中には
と言う人もいました。井上氏もそのような方言をもつ人には役立たないと認めています。その点、僕の方法のほうがちょっといいぞ、とひそかに誇っています。
「一つ告白しますと、この方法にもきわめて小さな「穴」があります。それは、「する」という動詞にだけは使えないということです。「する」に「よう」がつくと「しよう」になりますが、「られる」をつければ「しられる」です。今日「しられる」の語形を使うのは、関東など一部の地域に限られます。全国的な語法ではありません。とはいえ、「する」の場合、共通語では可能形は「できる」が使われますから(例、「勉強する」は「勉強できる」)、「られる」か「れる」かという問題はもともと回避されているわけです。」

 

[ 193] られる
[引用サイト]  http://homepage1.nifty.com/kmiya/rare.html

日本語の「られる」は受動だけでなく自発や可能などいろいろな意味を表すことができます。英語の受動態は項の増減からみると目的語を主語に昇格させて項を減ずる働きをしていますが日本語の「られる」は項を減ずる場合にも使われますが、項をさらに付け加えるような場合にも援用されます。どうも日本語の「られる」は英語のbe + 過去分詞形で表される受動態とは1対1に対応していないことがわかります。このような特徴を持った「られる」を具体的に見てみましょう。
(1b)は(1a)の受動態です。(1a)の主語である「ケン」と目的語である「リサ」を入れ替えたようなものです。この場合、(1a)で主語であった「ケン」は斜格を帯びていて省略が可能です。(1c)のように「ケンに」を省略しても文法的な文ができます。このような「られる」は英語の受動態とほぼ並行的です。ほぼと条件をつけているのは日本語では(1a)を受動態にする場合は(1b)のように主語に昇格した名詞句は一般的に「は」格で表すのが一般的であるからです。英語ではこのような区別を形態的には行いませんからまったく英語と日本語とが並行的であるということはいえません。つぎに項を増やす次のような「られる」を考えてみましょう。
(2a)は名詞句を1つとる1項述語です。英語の場合は1項述語で表現されている文は自動詞ですから受動態にはすることができません。しかし日本語では別の項を追加して(2b)のように表現することができます。間接受動態とか被害受身といわれるものです。このような「られる」は「に」格で表されている名詞句を「によって」に置き換えると非文が生じてしまいます。(2c)が非文なのは(2b)の「に」格で表されていた名詞句が「によって」に置き換えられてしまったためです。さらに純然たる間接受動態と呼ばれる次のような例を考えて見ましょう。
(3b)は「リサ」と「ケンの頭」の2つの項からなる能動態の文です。この「ケンの頭」の所有格の「ケン」を主語にもってきたのが(3b)の受動態です。「ケン」と「ケンの頭」は全体対部分の関係になっています。一方、(3d)は「ケン」と「ケンの本」との関係で全体対部分の関係にはなっていません。「ケンの本」は単にケンの所有物であるだけです。これらいずれも「られる」で表されているのですが、項の減少は生じていません。このように日本語の「られる」はいろいろなものを表すことが可能です。英語のbe + 過去分詞と完全に並行的ではありません。とは言ってもそのような表現方法が英語や他の言語にないというわけではありません。必ず(2b)や(3b)の表現形式はそんざいするのです。単に英語でそのような表現をbe + 過去分詞で表現しないというだけの話なのです。他の言語でも同じ事がいえます。

 

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