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逆鱗とは?/ アイフル

[ 402] 逆鱗(げきりん)
[引用サイト]  http://www23.tok2.com/home/rainy/seigo-gekirin.htm

そもそも龍という動物は、おとなしくしている時には、人が慣らしてその背に乗る事ができる。しかし喉(のど)もとには一尺ばかり逆さに生えた鱗があり、もし人がそれに触れると、龍は必ず人を殺してしまう。人間の君主にもまた、この逆鱗(げきりん)がある。意見を述べる者は、君主の逆鱗に触れないようにできたならば、成功を収める事も望めるのだ。
春秋戦国時代には、儒家や道家、墨家(ぼっか)など、さまざまな思想を奉じる学派が現れました。彼らは総称して「諸子百家(しょしひゃっか)」と呼ばれましたが、その中で、法律の整備によって富国強兵と君主権力の強化を図る学派は法家(ほうか)と呼ばれ、戦国時代の終盤に為政者の注目を集めました。
法家の思想を大成したのは、韓の国の貴族の家柄に生まれた韓非(かんぴ)です。韓非は儒家の荀子(じゅんし)に師事しました。荀子は「人間の本性とは欲深く怠惰なものだ」という「性悪説(せいあくせつ)」を唱え、「その悪い本性を、礼(礼儀)によって教化する」という思想を展開しました。韓非は、荀子が強調した「礼」の代わりに、「法」によって人々を管理するべきだと考えたのです。
韓非は、荀子の他にも、商鞅(しょうおう)と申不害(しんふがい)という二人の法家の影響を色濃く受けました。商鞅は秦に仕えて峻厳(しゅんげん)に過ぎるほどの「法」を整備し、秦を大国へと押し上げる礎(いしずえ)を築いた人物です。また申不害は、「法」と並んで「術」という概念の重要性を強調した思想家です。
申不害の言う「術」とは、臣下を統制する方法の事です。臣下の評価はその能力の高低によるのではなく、臣下の言葉と業績が一致しているかどうかに基づいて賞罰を下すべきだ、という考えです。つまり、能力がない人物であっても、それを自覚して、自らできる範囲で忠実に職務をこなせばよい評価が下されますが、たとえすばらしい能力を持っていても、自らが立てた計画と実績が釣り合っていない場合は罰せられる事になるのです。韓非はこれら先達(せんだつ)の思想を受け、私情を差し挟む余地のない冷徹な法家思想を大成しました。
また韓非は、君主とはどうあるべきかという心構えを述べる一方で、君主に対する臣下の心得(こころえ)についても書き記しています。韓非自身は生来のどもりだった事もあり、王から疎(うと)まれ、意見を具申しても聞き入れられませんでした。(※1)その鬱屈した思いを込めて、自己の思想を筆に託した韓非であればこそ、君主を説得する事の難しさを、誰よりも切実に感じていたに違いありません。主君を説得する事の困難さを伝える様々な寓話(ぐうわ)は、『説難(ぜいなん)』という篇にまとめられました。(※2)その中に、こんな話が見えます。
昔、衛(えい)の国王の寵愛(ちょうあい)を受けた彌子瑕(びしか)という女性がいました。(※3)彌子瑕は母親が病気になると、君主の許しを得たと偽って、夜中に君主の車に乗って母親のもとに見舞いに行きました。君主の許しなくしてその車に乗った者は、本来なら足斬りの刑に処されるのですが、彌子瑕に目がくらんでいる君主は「親孝行なものだ」と感心して、その罪は不問にされました。またある日、果樹園で桃を食べると甘くて美味しいので、彌子瑕は自分が半分食べた桃を君主にすすめました。君主は「わしを愛してくれているのだなあ」と感動したといいます。
ところが、やがて彌子瑕の容色に衰えが見えてくると、君主の寵愛(ちょうあい)も日に日に薄れてゆきました。そしてついには罪を着せられ、「かつて彌子瑕は、偽ってわしの車に乗り、食いかけの桃をわしに食わせたのだ」と非難される始末。君主に気に入られていれば、臣下の智恵は受け入れられて親密になれるが、君主が憎悪の心を持っている時には、せっかくの智恵も受け入れられず、罪を着せられて疎んぜられる事になる、と韓非は言います。
そして韓非はこの逸話の後に、君主を絶対的な力を秘めている龍に例えて、次のように述べています。「龍という動物は、おとなしくしている時には、慣らしてその背中に乗る事もできる。しかし喉もとには、一尺ばかり逆さに鱗(うろこ)が生えているところがある。その逆さに生えている鱗に触れようものなら、龍は怒り、必ずその人を殺してしまう。人間の君主にもまた、この逆さに生えた鱗があるのだ。君主を説得しようとする者は、君主のその逆さに生えた鱗に触れずに話を進める事ができれば、成功を収める事も遠くはないであろう」
韓非のこの寓話から、逆さに生えた鱗、すなわち「逆鱗(げきりん)」は国王の怒りを指すようになり、その怒りをかう事を「逆鱗に触れる」と言うようになりました。生殺与奪の権を一手に握っている専制君主を相手にして臣下が意見を述べるのは、時に命がけです。韓非の師匠である荀子も、君主を説得する難しさについては夙(つと)に嘆じており、「およそ説得する事が難しいのは、こちらが高い理想を抱きながら、心構えの卑しい君主に出会うというところにある」と述べています。(※4)
王族の一人として生まれながら、生母の身分が低く、どもりのために疎んぜられ、高い見識を自国の政治に活かす事ができなかった韓非。権謀術数の渦巻く王族のただ中に身を置いたせいで、他人の憎悪や欲望には人一倍敏感だった事でしょう。自分の心中は見せず、相手の心の機微を見透かした上で説得する、というのは、いかにも理にかなっています。しかし、韓非の置かれた環境を慮(おもんぱか)った時、その透徹(とうてつ)した思考の彼方に、一抹(いちまつ)の哀しさが垣間(かいま)見えるような気もします。(※5)

 

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