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[ 106] RUSSIA & USSR (写真で見るロシアと旧ソ連の国々)
[引用サイト]  http://www.asahi-net.or.jp/~ri8a-iskw/

日本の隣国ロシアは不思議な国で、ある人にとっては神秘的な魅力に満ち溢れた国であるのに、別の人にとっては得体の知れぬ近寄り難い国のようです。実際、数多くのお客を彼の地へ案内している旅行会社の社員に聞くと、一度ロシアへ行った人の多くは両極端に別れる傾向があるそうです。一方は、その魅力にとりつかれてその後も繰り返し足を運ぶ人、そして他方は「ロシアだけはもう金輪際行きたくない」という人。 私はどういうわけか前者の部類らしく、1979年の暮れにバレエを見に荒れる冬の日本海をナホトカまで渡ってモスクワとレニングラード(当時)に行ったのを皮切りに、以来今日までかれこれ40回以上にわたって旧ソ連邦とロシアの各地を旅行してきました。 幸か不幸か、私がソ連・ロシアを旅行した時期は、いわゆる「停滞の時代」からペレストロイカを経て“粗野な資本主義”の時代まで、社会と人々の価値観とが大きく変っていった時で、その激変の様子を目の当たりにした二十年余でもありました。ここでは、一旅行者の目で見たその時期のソ連・ロシアの都市と自然、そしてそこに住む人々の表情を何回かにわけてご紹介しようと思います。Copyright(c):石川顯法 1997-2008
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■■サンクト・ぺテルブルク点描 → 運河のある風景/青銅の騎士像/ネフスキー大通り/ペトロパヴロフスク要塞/要塞監獄/要塞の中の教会/エルミタージュ/聖イサク寺院/カザン寺院/スパース・ナ・クラヴィー聖堂/アレクサンドル・ネフスキー修道院/ゴスチヌィ・ドヴォール/夏の庭園/デカブリスト広場/宮殿広場/芸術広場/ロシア美術館/カザンスカヤ広場/ネヴァ河畔の並木道/水路/フィンランド湾/アストリア・ホテル/アニチコフ橋/トロイツキー橋/エカテリーナII世像/アレサンドリンスキー劇場/ロッシ通り,他/スフィンクス/旧海軍省/中央郵便局/モスクワ駅/地下鉄駅/マリインスキー劇場/シチェドリン図書館/キーロフ・スタジアム/街角/ネヴァ川/ドストエフスキーの墓/チャイコフスキーの墓/グリンカの墓/ボロディンとムソルグスキーの墓/R・コルサコフの墓/ルビンシュテインの墓/ボルトニャンスキーの墓/クラムスコイの墓/シーシキンの墓/プティパの墓/ツルゲーネフの墓/プレハーノフの墓/ワガノワの墓/ニコライII世の墓/日露戦争戦没将兵の慰霊碑/動物学博物館 ■■十月社会主義革命の足跡 → 巡洋艦“オーロラ”/スモーリヌィ/幼時のレーニン/レーニン博物館の展示品/旧レーニン博物館前の装甲車/フィンランド駅/ケレンスキーの閣僚が逮捕された部屋/ラズリフ湖畔“緑の書斎”/レーニンの母と姉の墓 ■■900日の包囲に耐えて → ピスカリョフ墓地/ターニャの日記/「通りのこちら側は危ない」の標識/道路脇のトーチカ跡/勝利の広場 ■■サンクト・ペテルブルク郊外 → 郊外の民家/レーピノ/ペトロドヴォレツ/プーシキン/パブロフスク
子どもは世界のどこの国でも可愛いのでしょうが、ロシアを旅行すると特に子どもたちの可愛さが印象に残ります。もっとも、口の悪い人達は「その分、大人が憎らしい」などと言ったりしますけれど....
イルクーツク/サンクト・ペテルブルク/バツーミ/ナリチク/エニセイスク/プーシキン/フィンランド湾/エレワン/ミンスク/ハバロフスク/キエフ/キシニョフ/レニングラード/ペテルゴフ/セヴェロバイカリスク/マリ(トルクメニスタン)/モスクワ/ウラジオストク/ティンダ/シカチアリヤン(アムール河畔)/ムルマンスク/ユルマラ(ラトビア)/ナガリク(サハ)/ヴォログダ/ノブゴロド/オデッサ/ヤールツェボ(エニセイ河畔)/ビリニュス/オルジョニキッゼ/ペトロザボーツク/シーダ(バイカル湖畔)/コムソモリスク・ナ・アムーレ/タリン/テラビ(グルジア)/ヤルタ/ドゥヂンカ/ストールビィ(クラスノヤルスク郊外)/エニセイ最下流域/カムチャッカ/シベリア鉄道/ボルガ河/プリョス(ボルガ河畔)/コーカサス山麓/グルジア軍用道路/ブハラ/シャフリサブス/ヒワ/アシハバード/トロイツコエ(アムール河畔)/ユジノサハリンスク/アルハンゲリスク/キジ島/オリホン島/ブラワ(アムール河畔)/ボゴロツコエ(アムール河畔)/マンドロギ/スヴィリストロイ/ヤロスラブリ/ザポロージェ/ヘルソン郊外/ゴリツィ(ボルガ・バルト運河)/サラトフ/クリン/クラスノヤルスク
川崎市にある「日本民家園」のように各地の古い木造家屋を集めて展示した施設が、あちらにも各地にあります。旅に出るようになるまで、私はロシアというのは建物を石で作るとばかり思っていましたが、じつは民間は木造家屋が主流だったのですね。何と言っても森の国ですし。こうして集められた古い民家や教会を見ていると、何か日本の家々と共通するものがあるような気がしてなりません。
ロシアといえば冬の“トロイカ”ですが、車輪のついた馬車も健在。むしろ、馬橇は観光用のものしか見たことがありません。たぶん、私が観光地ばかりを歩いていて人々の地道な生活の場をきちんと見ない、そんな旅行をしているせいでしょうね。
シベリアの大地を1週間かけて走り抜ける鉄道の旅。誰でも一度は憧れる旅ではないでしょうか。それとも「『憧れる』なんてとんでもない!1週間も乗りっぱなしでは退屈この上ないじゃない。」と思ってらっしゃいますか?それが不思議なことに何度乗っても退屈することなんか全然ないのですよ。
ウラジオストク /ハバロフスク/車窓の風景(枯れた草原)/ウラン・ウデ/イルクーツク /バイカル湖/旅は道連れ/エニセイ川/クラスノヤルスク/ノボシビルスク/車窓の風景(オビ河畔の農地)/ペルミ/ヤロスラブリ/ウラジーミル/セルギエフ・パッサート/モスクワ
黒海に突き出たクリミア半島、とりわけその南岸は変化に富んだ地形と温暖な気候で古くからロシアの人々によって保養地として利用されてきました。厳しい寒さと単調な大森林や大平原の中に住むロシア人にとってここが憧れの地であろうことは双方の土地を比べてみるとよくわかる気がします。今でも、モスクワっ子にとって、夏の休みにクリミアなど黒海沿岸に行って肌をちょっと黒めに焼いて帰ってくるのはステイタスを自慢することになるんだそうです。
ヤルタ(燕の巣,リバディア宮殿,アルプカ宮殿,チェーホフの家,裏通り,ヤルタ港,海岸通り,公園,教会の塔,黒海を望む,葡萄畑と黒海,薄暮と夜景,森と湖)/フォロス/セワストーポリ(入り江,モニュメント,海に面したゲート,海港,軍港,大通り,裏通り,ナヒーモフ像,レーニン像,入り江を望む,ウラヂーミル教会,黒海艦隊博物館,臨海公園,堡塁跡,ジオラマ館,遺跡)/バフチサライ/シンフェローポリ郊外
ロシアとヨーロッパのはざまに位置し、歴史の過酷な試練にさらされ続けてきた小国ベラルーシ。しかし、ソ連崩壊に先立つこと40年も前から国連に議席を占めていた誇り高い国でもあります。
ミンスク(旅客駅,駅前広場,勝利の広場,街角,教会,アフガン戦争戦没兵士慰霊碑,バレエ・オペラ劇場,トロエツカヤ旧市街区,ロシア社会民主労働党第1回大会会議場)/ハティニ/チェルノグラディ/ゴメリ/ブレスト(要塞,ブレスト講和締結地,中央駅,ドラマ劇場,教会,市場,子どもたちの像,街角)
ロシアの首都モスクワは、その名が初めて文献上に現れて以来1997年で850年になるということで、その年の9月に850年祭を盛大に祝いました。そのモスクワの名所を「観光案内」風にご紹介してみます。
赤の広場/レーニン廟/片山潜の墓/グム/ワシーリー寺院/歴史博物館/ホテル「ロシア」/クレムリン/クレムリン内の教会群/武器庫/鐘の王様/大砲の王様/中心部鳥瞰/道路元標/アレクサンドロフスキー庭園/マネージナヤ広場/勝利の公園/凱旋門/バリケード型のモニュメント/ゴーリキー公園/コローメンスコエ /郊外の団地/オスタンキノ/ВДНХ/動物園/植物園 /モスフィルム/製菓工場/トヴェリ通り/カリーニン通り/アルバート通り/寒暖計のネオンサイン/ペレストロイカの風/レーニン像/マルクス像/ユーリー・ドルゴルーキー像/チャイコフスキー像/ゾルゲ像/ジューコフ像/ノヴォヂビチ修道院/ダニーロフ修道院/カザン聖母聖堂/救世主キリスト大聖堂/プーシキン美術館/トレチャコフ美術館/露天彫刻美術館/ボリショイ劇場/モスクワ芸術座/高等音楽院/チャイコフスキー・コンサートホール/動物劇場/サーカス/レーニン図書館/モスクワ大学新館/モスクワ大学旧館/モスクワ川/セブ/ホワイトハウス/シャンペン工場/石細工の工場/「クロコヂール」編集部/日本人学校/星の街/地下鉄駅/鉄道駅/河港/空港
ブレジネフのソ連時代、我々外国人旅行者がまず驚いたのは、パン屋といい肉屋といい、どこでも必ずと言っていいほど長い行列があることでした。そんな時代にあってほとんど唯一供給が需要を上回っていたのが年賀はがきだったのです。いえ、私がそう言っているわけではありません。当時ソ連大使館広報部から発行されていた「今日のソ連邦」という雑誌にそう書いてあったのです。でも、図柄の素敵なのも少なくなく、何よりも価格が安かったので私は現地で大量に買い込んでは、日本へ帰ってから子ども達への年賀状として使ったものです。
モスクワ・クレムリン/グジェリ陶器/平和を訴える/冬の森/小鳥とチョウザメ/子ども達のために/おとな達にも/ザルービン氏作品集/森の動物たち/封書用ニューイヤー・カード/クリスマスカード兼用/新生ロシアの官製年賀はがき/官製クリスマスカード/封書用私製クリスマスカード/バースデーカード/グリーティングカード
モスクワの北西のバルダイ丘陵に源を発し、はるか南のカスピ海まで3500km以上を流れる大河ボルガは、その位置と豊かな水量と全体を通じての緩やかな勾配から、古くからロシアの人々にとって、農業・漁業・交通・エネルギーをはじめ美術や音楽に至るまで、それこそ文字通り「母なる川」だったのです。そのボルガに沿って岸辺の町々をご紹介してみようと思います。
トヴェリ/モスクワ/モスクワ運河/ドゥブナ/ウグリチ/岸辺の教会/リビンスク貯水池/リビンスク/ヤロスラブリ/コストロマ/ニジニ・ノブゴロド/コズモデミャンスク/カザン/サマーラ/水門/川岸の風景/「緑の休息」/サラトフ/ボルゴグラード/アストラハン
高校生のときに誰もが習った元素の周期表で知られるD・I・メンデレーエフは、日本の高校化学の教科書に登場する唯一のロシア人でしょう。このメンデレーエフが生きた足跡がサンクト・ペテルブルクに残されています。
メンデレーエフ像/建物の壁に書かれた周期表/ペテルブルク大学/メンデレーエフ博物館/手書きの周期表/墓
第12章 バルト三国今昔(いまむかし) (1998.1掲載/1999.2更新/2002.11一部修正) ずいぶん以前、まだソ連に行き始めの頃のことですが、あるときロシア人のガイドと話していてバルト諸国のことが話題になりました。すると彼は「あそこは、反ソ感情が強いから」と言うのです。私は「おいおい待てよ。『反ソ』って言ったってあそこはソ連じゃないか?」と思ったものです。ゴルバチョフのペレストロイカがやってくると15の連邦構成共和国の中で最も早く独立の声を上げたバルト三国、それには私たちのはかり知ることのできないような厳しい歴史の背景があったはずです。今から約20年ほど前のソ連時代のものと、独立後しばらく経ってから撮影した写真とをご覧いただきます。
ソ連邦崩壊の直後に書かれた日本のある新聞記事によると前章のバルト諸国とは逆に「連邦構成15共和国中、最も“不本意な”独立を遂げた」とされる中央アジアですが、古来よりシルクロードの要衝として幾多の興亡を繰り広げてきた深い歴史を持つ国々としてよく知られています。ほんとうに“不本意”だったのかどうかは知りませんが、その中央アジア諸国のうち旧ソ連邦の南側の国境に近い地域を私が訪ねた1991年暮れには既に独立国としての確かな一歩が踏み出されている気がしました。この章ではさまざまな古い遺跡を中心にご紹介します。
函館からの飛行機がオホーツク海に出て数十分後にはもうサハリン島の上空で着陸態勢に入ります。ドア1枚隔てた隣のお宅のような土地サハリンの春と夏の表情です。
黒海からカスピ海にかけて5000mにも及ぶ高さの山々が連なるコーカサス。それは果てしのない平原と起伏のない森ばかりを見ているロシア人にとって、きっと別世界のようだったでしょう。プーシキン、レールモントフ、トルストイ、イッポリート・イワーノフなど多くの作家や音楽家、画家などがコーカサスに魅了されていることからもそのことが想像できます。 また、このあたりは多くの民族が入り混じっていて、古くから交易も盛んなかわりに紛争も絶えない地域でした。「片手に剣、片手に盃」というのはこの地方の人々にとってまさに実感だったのでしょう。
ロシア民謡にも歌われてあまりにも有名なシベリアの湖バイカル。その深さは世界一で、地球上の淡水の5分の1がこの一つの湖に貯えられているといわれます。透明度もおそらく世界一。固有種の藻や小海老が水を浄化する働きをしているそうです。広さも琵琶湖の50倍近く、私が訪ねたのはその広大な湖のほんの隅っこにすぎません。
ロシアに比べたら穏やかな気候と肥沃な黒土とに恵まれて旧ソ連の穀倉の役割を果たしたウクライナ、そしてそれに隣接するモルダヴィア(モルドヴァ)の風景です。
キエフ(シンボル,祖国の母の像,キエフ市創始者の像,ウラヂーミル大公像,黄金の門,独立広場,道路元標,外務省ビル,街角,フレシャチク大通り,大祖国戦争のモニュメント,アフガン戦没者慰霊碑,キエフ大学,オペラ・バレエ劇場,鉄道駅,民族楽器,市内の公園,シェフチェンコ像,フメリニツキー像,歩行者天国,並木道,植物園,広場,レーニン像,農業集団化犠牲者慰霊碑,ロシアとウクライナの友好の碑,ケーブルカー,公園の石像,地下街,ペチェルスカ修道院,ソフィア寺院,アンドレイ教会,ミハイロフスキー修道院,ウラヂーミル教会,教会跡,イコン)/ドニエプル川/道路/オデッサ(オデッサ港,ポチョムキンの階段,オペラ・バレエ劇場,街角,裏通り,鉄道駅,並木道,広場,シェフチェンコ公園,通りの風景,戦艦ポチョムキンの碑,永遠の炎,チェルノブィリ犠牲者慰霊碑)/ザポロージェ/ヘルソン/ドニエプロペトロフスク/農村/向日葵畑/葡萄畑/ワイナリ−/キシニョフ(通り,商店街,物売り,噴水)
「黄金の輪」と呼ばれる古都群をはじめ、モスクワ周辺の有名無名の町や村を紹介します。モスクワの町を一歩離れると、そこには話に聞いていたロシアの原風景が広がります。
郊外への道/ウラヂーミル/スーズダリ/ヤロスラブリ/セルギエフ・パッサート/トヴェリ/クリン/トゥーラ/オリョール/ヤースナヤ・ポリャーナ
ロシアといえば北の地という印象なのに、その中でもまた北の地域。冬には昼間がほんの数時間しかないとか気温が零下30度にも下がるという所です。しかし豊かな森林資源や漁業資源を背景に古い時代から人々の営みがありました。
ボルガ・バルト水路/ゴリツィ/キリーロフ/ベーロエ湖/コヴジャ川/オネガ湖/キジ島/マンドロガ/スヴィリストロイ/スヴィリ川/スヴィリ川河口/ヴァラアム島/ネヴァ川/ペトロザボーツク/ムルマンスク/鉄道沿線の村々/アルハンゲリスク
さきの大戦で戦勝国側の一員だったとは言え、ソ連は他の国々とは比べものにならないほどの戦争被害を受けました。ことに戦争で亡くなった人の数は2千万ともそれ以上とも言われています。戦後の復興も敗戦国の日本以上に困難だったという面もあります。それだけに、為政者の思惑がどうであれ、人々の中には平和を心から願う気持ちが強いのです。
ロシアに幾度も行くようになって、どうしてロシアばかりにそう度々行くのかとよく聞かれます。自分でも一言では答えにくいのですけれど、はっきり言えるのは旅先で出会った人々との関係で不愉快な思いをしたことが殆ど無いことです。無類のお客好き、おせっかいとも言えるほどの親切、そして日本ではもう3-40年も前に失われてしまったような純朴さ、..そんなものにひかれてつい何度も足を運んでしまうのかもしれません。
ロシアというとモスクワとかあちらを頭に浮かべがちですからずいぶん遠い所とつい思ってしまいますけれど、サハリンは別にしても、日本海のすぐ向こう岸がロシアなのです。飛行機でならほんの2時間、船でも一昼夜もあれば着いてしまう文字通りの隣国です。その中でも日本から「片道5時間」以内の極東と東シベリアの表情をお伝えします。
ロシアやその他の旧ソ連各地で買ったり贈っていただいたりしたお土産の数々です。「モスクワ饅頭」とか「キエフ羊羹」とかはありませんけど、その土地土地の風土が育んだ素朴なものが多いのが特徴です。もちろん写真は現地で撮ったものではなく、デジタル・カメラを使って我が家で撮影したものです。
観光でよその土地を訪れたとき、その土地の人々の生活のにおいをいちばん感じることができるのはきっと市場でしょう。だから外国へ行くと市場に寄るのが好きという人は多いはずです。私もその一人ですが、あちらの人々には写真を撮る時はきちんと身なりを整えてという考えが強くあるようで、作業着や普段着で写真を撮られることをあまり好みません。そのため、ちょっと腰の引けた写真になってしまっているのが残念です。
リガ/タリン/サマルカンド/ヒワ/ウラジヴォストーク/イルクーツク/エニセイスク/ドゥヂンカ/バクサン渓谷(北コーカサス)/コストロマ/エレヴァン/カヘチア/テラビ(グルジア)/ユジノサハリンスク/ブズモーリエ/ニコリスコエ(ボルガ河畔)/モスクワ/ハバロフスク/スズダリ/ヴォログダ/エリゾヴォ(カムチャッカ)
「クレムリン」という語はもともと“城砦”の意味で、その町々の聖俗の権力機関・行政機関の置かれた中心地でもありました。ですから、モスクワだけでなく中世以来のロシアの都市には、クレムリンそのものやあるいはその跡が今でも残されているところが少なくないのです。
モスクワ/ノブゴロド/ニジニ・ノブゴロド/カザン/アストラハン/プスコフ/ヴォログダ/コストロマ/ウグリチ
街の通りやその他の場所で見る看板や広告の写真を意識的に撮ってきたわけではありませんが、今になって手元にあるネガの中からこうして並べてみるとこの十年余の社会の変化が垣間見える気もします。
屋上のスローガン/大会準備/劇場の広告/演奏会案内/オペラの広告/商店の看板/西側のチェーン店/野球試合のポスター/地震被災者の救援/独立運動/チェルノブィリ子ども基金/大統領選挙/大統領/新しい市名/古い市名/ペレストロイカ/政党の看板/消されたレーニンら/制限時間/営業時間/モスクワ850年祭/赤十字の看板/日本文化への関心/日本料理店の宣伝/店名/遺跡案内/車窓の注意書き/エコマーク/有朋自遠方來/落下物注意/猛犬注意/告白
ロシアの人々の生活と歌や音楽とは切っても切り離せません。音楽はしっかりと生活の一部になりきっているのです。あちらの音楽で私がいちばん気に入っているのはロシア正教の教会音楽。聖堂の中でそれを聞いていると自分が地上にいるのか天上にいるのか判然としなくなるというのもあながち作り話とは思えなくなります。ロシアの人々の豊かな音楽性は教会で培われたに違いありません。でも、神聖な場所での撮影はためらわれて教会音楽の写真は1枚もなく、ここでは世俗的な写真ばかりです。
キエフ/オデッサ/セワストーポリ/ザポロージェ/コラ/エレヴァン/ゲガルト/コムソコリスク・ナ・アムーレ/スズダリ郊外/モスクワ郊外/ナガリク/カムチャッカ/ヴォルガ川/エニセイ川/ネヴァ川/ハバロフスク/レニングラード/サンクト・ペテルブルク/ペテルゴフ/ヤロスラブリ/モスクワ/セヴェロバイカリスク/ティンダ/ブラワ/シカチアリヤン/黒海/アルハンゲリスク/イルクーツク
広いロシアを縦横に走る交通機関。その乗り物の写真をと思ったのですが、ソ連時代には飛行機からの俯瞰は言うに及ばず、飛行場も鉄道の分岐点もみな撮影禁止だったので、手元のネガの中にも乗り物の写真は意外に少ないのです。
飛行機/海洋フェリー/河川用の客船/列車/列車の室内 /地下鉄/地下鉄の車内/市電/バス/トロリーバス/山岳用バス/系統タクシー/都市交通の切符/水中翼船/ヘリコプター
どの町や村にも無数にある「通り」。人と同じでその表情はなかなか個性的です。ぜひ見比べてみてください。
ソビエト連邦の崩壊、そしてその後のロシア経済の混乱のために、国内で流通する紙幣や貨幣はここ10年ほどの間にずいぶん変わってきました。その変化を振り返ってみます。デジタルカメラでいい加減に撮ったものですから、向きがまっすぐでなく、几帳面な方には気になるとは思いますがどうぞお許しください。
お札や硬貨のことに触れると、それよりもずっとコレクターの数の多い郵趣関係者から切手もという声が出そうですが、旧ソ連では切手で外貨を稼ごうとしたのではないかと思うほど多くの種類の切手が発行されていて、切手だけ取り上げても一つのWWWサイトには到底収まりきれません。実際、旧ソ連の切手を扱った日本語のサイトもありますし、ここでは私の手元にあるごく限られたもののご紹介に留めます。
ソ連の切手(特殊切手の例,「諸国民の祝日」,小型シート,年賀切手,アルメニア地震救援,日ソ共同宇宙飛行記念)/臨時切手(ウクライナ,ロシア)/加刷切手(アゼルバイジャン,ロシア)/ロシア以外の国の切手(ウクライナ,ベラルーシ,ウズベキスタン,リトアニア,ラトビア,エストニア)
ロシアの子どもたちと仲良しになって手紙がくるようになると、そこに必ず書かれているのが家族のこと。パパやママのことは言うまでもなく、おばあちゃんやらお姉ちゃん、それに飼い犬のことまでことこまかに書かれていて家族の絆がともて強いことを感じさせられます。対する私の返事はと言えば、妻子についてなど一度も触れたことはないのにです。
イルクーツク/アルハンゲリスク/サンクト・ペテルブルク/シベリア鉄道/ボルガ川/モスクワ/エヴパトーリア/トビリシ/サマルカンド/タシケント/ラトビア/バトゥーミ沖/ヴォログダ/コムソモリスク・ナ・アムーレ/ハバロフスク/エニセイ最下流域
シベリアを東西に分かつ大河エニセイは流域に住む人々にとって文字通り命綱の役割を果たしています。ここでは中流のクラスノヤルスクから北極圏までの流域の町や集落、そしてそれらを包む豊かな自然の表情をご紹介します。
クラスノヤルスク/ストールビィ/タシキノ/カサチンスキー早瀬/川の表情/アンガラ河口/川岸の風景/レソシビルスク/エニセイスク/ヤールツェヴォ/浮き桟橋/ヴォローゴヴォ/タイガ(コムサ)/レーベジ/トゥルハンスク/イガルカ/川の上の空/鴎/ドゥヂンカ/ツンドラ/トナカイ放牧地/ウスチ・ポルト/エニセイ川
ソ連時代は表向きにはクリスマスを大々的に祝う習慣がありませんでしたから、そのかわりという訳でもないでしょうけれど、新年を迎えるお祝いは盛大でした。ソ連が崩壊してクリスマスが祝われるようになった現在でもその習慣は生き続けています。
モスクワ/キエフ/レニングラード,他/サンクト・ペテルブルク/ムルマンスク/ヴォログダ/年頭の挨拶/カレンダー
私がソ連に行き始めた今から20年ほど前は「インターネット」という言葉すら知りませんでしたから自分が撮った写真を他人に見せる機会があるなどとは思ってもみませんでした。旅に出ても風景を写真に撮ったりするよりも絵はがきを買ったほうがずっと良いと考えて、写真を撮るかわりに絵はがきを買ったものです。ただ、その絵はがきをここに掲載すると著作権の問題に触れますので、ここでは絵はがきセットの表紙だけをご紹介することにします。いわば絵はがきのカタログです。お気に入りのものが見つかりましたらどうぞ現地にいらしてお買い求めください。
モスクワ/セルギエフ・パッサート/スズダリ/カリーニン/ノブゴロド/プスコフ/レニングラード/ラズリフ/ペトロドヴォレツ/プーシキン/パブロフスク/キリロフ/ヴァラアム島/キジ島/ペトロザボーツク/ソロヴェツキー諸島/ムルマンスク/アルハンゲリスク/ヴォログダ/ヤースナヤ・ポリャーナ/ボルヂノ/リガ/リトアニア/ミンスク/キシニョフ/キエフ/カネフ/ザポロージェ/ヘルソン/ニコラエフ/オデッサ/セワストーポリ/バフチサライ/ヤルタ/リバディア/ゲラチ/コルヒーダの洞窟/トビリシ/アルメニア/バクー/エルブルス近傍/オルジョニキッゼ/カルバジノ・バルカル/ミネラリヌィ・ヴァディ/アストラハン/ボルゴグラード/サラトフ/カザン/チェボクサリ/コズモデミャンスク/ニジニ・ノブゴロド/プリョス/コストロマ/ヤロスラブリ/リビンスク/ムィシュキン/ウグリチ/エラブガ/ペルミ/シベリア鉄道/アシハバード/ウズベキスタン/ブハラ/サマルカンド/ヒワ/タシケント/クラスノヤルスク/ノリリスク/タイムィル/ブラーツク海/イルクーツク/バイカル湖/ハバロフスク/ハバロフスク地方/コムソモリスク・ナ・アムーレ/ウラジヴォストーク/沿海州/サハリン島/ユジノ・サハリンスク/カムチャッカ/ペトロパブロフスク・カムチャツキィ
キエフが日本の京都にあたる古都だとすれば、鎌倉あたりに相当する古い町々がレニングラード州の周囲の地域にあります。町の中をどちら向きに歩いても古い教会に出会い、教会の中に町があるかのような錯覚すら覚える町々です。ここでは、ノブゴロド州,プスコフ州,ヴォログダ州のそれぞれ同名の州都の様子をご紹介します。
ロシアの人々は「森の民」で、森からたくさんの恩恵を受けて生きています。また、花々も大好きで、野草を摘んでよく人にあげたり窓辺を飾ったりします。この章に置いたのは旅先でふと立ち止まって撮った木々や草花の写真です。
ソ連時代の旅行では三度の食事はそれほど楽しみではありませんでした。なにしろホテルもレストランも国営。つまり役所が食事を出してくれるようなものだったからです。ところが庶民の家庭でごちそうになる料理の味はぜんぜん別。いや、家庭まで行かなくても通りのピロシキ屋さんでさえ「えっ、外国人にはあんなもの食べさせて、自分たちはこんな美味しいもの食べてるの!」という感じでした。写真では味は伝わりませんから、料理の写真も手元にほとんど無いのですけれど、その数少ないものをお見せします。
宴の前/船の料理/レストランの料理/アイスクリーム/山小屋の料理/家庭でのおもてなし/調味料/シャシリクを焼く/ブリヌィ/機内食/車内食/日本食
日本列島と同じく環太平洋火山列を構成するカムチャッカ。タイガや平原が延々と続く大陸のロシアとは全く違う景観だけでなく、変化に富んだ手つかずの自然がふんだんに残されているという点でも私たちをひきつけます。
ペトロパヴロフスク・カムチャツキー/アヴァチャ湾/ハラクチル海岸/エリゾヴォ/パラトゥンカ/アヴァチャ山麓/コリャク火山/ナリチェヴォ自然公園
ドストエフスキーの代表作の一つ『罪と罰』は、サンクト・ペテルブルクのごく狭い区域の中で物語りが展開していきます。そのあたりを訪ねてみました。ただ、小説は夏のペテルブルクが舞台なのに、写真のほうは冬景色ばかりなのでちょっと違和感がありますけれど、いずれ夏に訪れる機会があったら撮り直すことにして、しばらくはこれらの写真でご容赦ください。
S横町/K橋/ラスコーリニコフの下宿/センナヤ広場/中庭/金貸し老婆の家/ドストエフスキーの家/V通り/T橋/ペトロフスキー島/ユスーポフ公園/エカテリーナ運河/ニコラエフスキー橋/鉤の手になった短い横町/ソーニャ・マルメラードワの家/小メシチェンスカヤ通り/ヴォズネセンスキー橋/K横町/ドストエフスキー博物館/ドストエフスキー像/ドストエフスキーの墓
タイガに覆われたシベリアの山中を太平洋に向かって走るBAM(バイカル・アムール)鉄道。ソ連邦の一大国家プロジェクトとして建設が進められてきましたが、2001年春の「セヴェロ・ムィスキイ」トンネルの貫通で、まもなくその大工事も終わろうとしています。真冬には気温が氷点下60℃にも下がって、寒さのために空を飛んでいる鳥が突然落ちてくるとも言われるあたり、列車に乗って旅をしていても、鉄道建設がどんなに過酷な労働だったのかを思わず想像してしまいます。
コムソモリスク・ナ・アムーレ/ノーヴィ・ウルガル/イサ/フェブラリスク/ティンダ/ノーヴァヤ・チャラ/コダール山系/タクシモ/セヴェロムィスキイ山地/キュヘリベクスカヤ/ノーヴィイ・ウオヤン/セヴェロバイカリスク/コルシューニハ・アンガルスカヤ/ブラーツク/ヴィホレフカ/チュナ
中露両国の間を流れてきたアムールは、極東の中心都市ハバロフスクから北東に向かい、オホーツク海に流れ出ます。ヨーロッパ部の大河ボルガが母なる河と呼ばれるのに対し、極東最大のこの川はロシア人に「父なるアムール」と呼ばれるのだそうです。ここではハバロフスクから500kmほど下流のボゴロツコエまでの間を往復する船旅の折りに撮った写真の一部をお見せしようと思います。
ハバロフスク/アムール川/川岸の風景/シカチアリャン/「緑の休息」/トロイツコエ/船内でのエンタテイメント/コムソモリスク・ナ・アムーレ/タンボフカ/ブラワ/航路標識/ボゴロツコエ/川を行き交う船/船旅の魅力
日本でも、どんな寒村へ行ってもお寺も神社も見あたらないということはありません。ロシアも同じ。いたるところに教会や修道院、あるいはその跡を見ることができます。この章には由緒ある建物だけでなく、通りがかりにちょっと見かけた、言ってみれば田舎の実家が檀家になっている小さなお寺に相当するような教会の写真も置きました。
モスクワ/サンクト・ペテルブルク/クリン/ノブゴロド/キジ島/アルハンゲリスク/ヴォログダ/ブレスト/エニセイスク/オデッサ/ハバロフスク/キエフ/コストロマ/アストラハン
旧ソ連の時代、大きな河には遊覧船が配置されて、川が凍結していない夏の季節には、大人たちはもとよりピオネールの子ども達まで、いく日もかけてゆったりとしたクルーズを楽しんだものです。そんな川船の中で、ほとんど唯一海にまで漕ぎ出すのがこのドニエプル川のコースです。ウクライナの首都キエフから黒海までの「ウォーター・フロント」の表情をご覧ください。
キエフ/川岸の風景/航路標識/クレメンチュク閘門/鴎/クレメンチュク/川岸の風景/ヨット/川岸の小さな家/可動橋/驟雨/教会/夕焼け/ドニエプロペトロフスク/パイプライン/電線/ザポロージェ/川の風景/ヘルソン/ドニエプロ・デルタ/オデッサ/セワストーポリ/ドニエプル航路の客船/黒海の夕陽
ロシアの誇る世界的な美術館“エルミタージュ”。その膨大な所蔵品については、それらを紹介する書物もTV番組も数え切れないほどありますから、あらためてその写真をここに載せるのはほとんどやめて、美術館の雰囲気をお伝えすることを試みようと思います。
ロシアでも、人々はあるときには動物たちに心を慰められ、あるときには動物たちに生活を支えられてきました。人々と動物たちの間には深い絆があります。ところで、ロシアをテーマにしたサイトに「動物たち」の章を置くのなら、どうしても熊の写真を載せたかったのですが、幸か不幸か野山で熊に出会ったことはまだ一度もないものですから....。
ロシアや旧ソ連に関係のある内容の日本語によるサイトのうち個人によって作られたものをできるだけ収録したいという希望を持っています。そのようなページをお持ちの方で、ここのリンク集に掲載しても良いとお考えになってくださる場合はメールでご連絡くださいませんでしょうか。よろしくお願いいたします。 左上にある黄色地に青文字の標題プレートをクリックすればリンク集に入ることができます。
このWEBサイトについてのご意見・ご感想だけでなく、ロシアや旧ソ連に関することなら何でも書き込んでいただける掲示板を用意しました。様々なご質問も含めてお気軽にご利用ください。 左上にある黄色地に青文字の標題プレートをクリックすれば掲示板に入ることができます。
ご覧になってくださってお気づきの点などがございましたらぜひお聞かせください。お待ちしています。 なお、ご質問にもできる限りお答えしたいと思っておりますが、なにぶんにも私はロシアについての専門家ではなく単なる旅人にすぎませんので、私がお答えできることは極めて限られます。ご質問は、私個人宛のメールではなく、上の『掲示板』に書き込んでいただいたほうが、ご期待にそうお答えの得られる可能性が多少とも高くなると思われます。
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