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支出とは?/ アイフル

[ 40] 収入と支出の分析
[引用サイト]  http://www.money-navi.net/saving/income-analyz.html

まずは、自分自身や家庭の収入と支出を知る事が今後のご自身のマネープランを立てていく上で極めて重要な要素になります。収入の内訳を知り、または今後その収入がどうなるのか?という分析。また、支出の内訳を知り、今後どのように支出が増加(減少)するのか?その際の資産はどのようになっているのか?以上二点をしっかりと押さえて、ファイナンシャルプランを立案しましょう。
というように二つに分類する事ができます。収入を分析する際、今のあなたの家庭のキャッシュフローがどちらに傾いているかによって、「使えるお金」は大きく変わってきます。まず、勤労所得は「労働の対価として支払われる為、今後なにか万が一のことがあった場合激減する可能性がある所得」です。特に、自営業を営まれている方などにとっての勤労所得は会社の業績が好調なときは大丈夫でしょうが、景気の悪化等により激減する可能性があります。
逆に(2)の不労所得に関していえば、不労所得とは言い換えると「資産所得」ともいえます。保有している預金や株式、不動産などの資産に対してお金が入ってきます。
次に、固定費を分析します。いわゆる何もしなくても固定的にお金が出て行ってしまう費用の事です。
まず、単年度で見たときのキャッシュフローは黒字ですか?黒字ならひとまず現段階ではセーフです。逆に赤字の場合は要注意です。既に現段階で家庭は赤字経営となっていることを意味しています。
当然これは、マイホームなどを既に所有されておりそのローンなどがある場合は赤字となるケースもあるでしょうし、ちょうどお子さんの教育費がかかる時期、老後の資産を取り崩す時期など人生設計の中でマイナスとなる時期があってもかまいませんが、このキャッシュフローが赤字ということであれば、このファイナンシャルプランニング入門を心して読むようにしてください。
この分析をする事で、現在の家庭が過大にローンを組んでいてり、部不相応な暮らしをしているということになります。
もちろん、大変たくさんのお金をもっていて一生遊んで暮らせるという人にとってはそれでも良いでしょうけど、私も含めた多くの人はそういう身の丈にあった暮らしをしていくことが、家庭のマネープラン破綻を避ける一番の道です。
自分の収入や支出・資産・株式投資状態などをチェックし、自分の家計状態をとチェックす・把握ることが節約・資産形成の第一歩です。
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[ 41] 極東ブログ: 支出の倫理
[引用サイト]  http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/03/post_d043.html

アマゾンの「ほしい物リスト」で本人の名前が表示されるという話が昨日突然話題になり、12日付け朝日新聞記事”アマゾン「ほしい物リスト」、他人に丸見え 本名も表示”(参照)にまで取り上げられた。
ネット通販大手「Amazon」(アマゾン)のサイトで、欲しい商品を登録したユーザーの個人名やリストが、検索すると他のユーザーから見えてしまうことが、ネット上で問題にされている。表示されないように設定もできるが、大半のユーザーは検索されることを知らずに使っている可能性がある。
この仕様は以前のウィッシュリスト時代からあるのだが、目立つところに配置されていて今月に入り「ほしい物リスト」と名称が変わったをのがきっかけで話題になったのだろう。
別段それが公開されて何が話題なのかというと、一つには「ほしい物」がプライバシーに関連する部分があるということだ。
中には、特定の病気について書かれた本が並ぶリストや、アダルトグッズなどが並ぶリストもあり、そのユーザーが「自分の名前とともに公開される」ことを意識しているとは考えにくいものも多い。
「2ちゃんねる」には「単なるお気に入りだと思っていた」「覚えのないリストが(自分の名前で)表示された」などクレームに交じって、「有名ブロガーのアドレスを入れたら、本名が出てきた」という書き込みもされている。
私は「有名ブロガー」のうちには入らないと思うが、この件で探した人もいるのかもしれない。私はこの機能を使っていないのでそこからは情報は探れないだろうし、匿名に隠れてなにか書いているという意図はないので公的な必要性があれば公開します。
匿名ということの余談になるが、マルタのカトリック的な風俗を調べているときKKKのような装束を見つけて驚いたことがある。理由を探ったのだが、善行は匿名でするということが起源で、異様に見える装束も逆の起源があったようだ。つまり、匿名とは善行を隠すためのもの、というのが西洋史的には原義に近い。アルファブロガーというのもがありうるとしたら、有名であるよりマスメディアから独立した匿名の良心の一つの形態であるべきなのかもしれない。
サイトを運営するアマゾンジャパンの広報担当者は「公開になるという説明は、必ず目につくような場所につけている。設定の変更もできるようになっている」と説明。「そもそも、ほしい物リストは、アメリカの文化で、友人や家族にプレゼントして欲しいものをあらかじめリスト化する習慣に合わせてできた機能。公開して使うことが前提になっている」としている。
文化的な背景もあるのかもしれないが、私は、米国的な「ウィッシュ」(ここではサンタさんにプレゼントもらえないかなというような願望だろう)と、「ほしい物」(これ今は買わないけどほしいなという願望)の違いかもしれないと思った。
静かなる細き声山本七平 今回のネット的な騒ぎで、「支出の倫理」も思い出した。山本七平「静かなる細き声」(参照・参照)にその章題の興味深い話がある。
中学何年のときか忘れたが、ヘニガーさんという宣教師(?)の講演会があった。確か、全校生徒が聞いたのではないかと思う。
ただ強く印象に残ったのが、ヘニガー先生の「支出の倫理」という考え方であり、これが私には、今まで耳にしたことのない、全く新しい考え方に思えたからである。先生は確か、次のように話されたと思う。
日本人は、取得もしくは収入の手段方法については、高度の強い倫理観をもっている。これが中国(当時の)の上海などに行くと、「盗む」ことが必ずしも罪悪視されず、盗品市場などが堂々と存在し、盗まれた物はそこに行けば買いもどせるという奇妙な状態である。また盗みの現場を見つかれば返せばよいのであって、それ以上追求すると「返したのだから文句を言うな」と逆襲される。こういう点、日本人とは倫理観が違う。
ところが、立派な「取得の倫理」をもっていながら、「支出の倫理」となると、日本人はこれが皆無である。
そしてこの点を指摘すると、必ず返ってくる反論が「盗んだものでも、ひろったのでもない。オレがかせいだカネだ。オレがかせいだカネを、好きなように使って何が悪い。女郎を買おうが、酒を飲もうが、バクチをしようがオレの勝手だ」といった反論である。
そのため、非倫理的収入を得た者が社会的に非難され軽蔑され差別されることはあっても、この収入の原因となった非倫理的支出をしたものは非難されないという奇妙な現象を呈しながら、だれもこれを奇妙とは思わない。
山本七平のこのエッセイはもう三〇年も前のもので、私は当時これを連載していた「信徒の友」を購読して読んでいたのだが、現代日本ではもう違った部分はあるかもしれない。
だが私には、支出は、だれにも拘束されない個人の行為だという点と、拘束されない自由な行為であり、他の収入となる点で他に干与しつつしかも責任を負わないですむ行為であり、いわば「応答の義務のない行為」であるがゆえに、支出は神に対して倫理的な責任を負うという考え方が、非常に興味深かった。
支出とは不思議なものである。ふところにカネがあるということは、その範囲内で、それを自由に使いうるということであり、その点、支出は不知不識のうちにその人の本心をさらけ出してしまう。
こう考えてみると、支出とは、近代人が神と人の前で自覚せずに行っている一種の懺悔であり、偽ることのできぬ自己表現である。
この山本の印象は、マックス・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(参照)で重視されるプロテスタンティズムの特徴と響き合う点がある。
これらのさまざまな方向へピュウリタニズムがおよぼした影響をここで詳論することはできないが、次の点だけははっきりさせておきたい。すなわち、純粋に芸術や遊技のための文化財の悦楽にはいずれにせよ、つねに一つの特徴的な許容の限界があった。つまり、そのためには何も支出をしてはならない、ということだ。人間は神の恩恵によって与えられた財貨の管理者にすぎず、聖書の譬話にある僕(しもべ)のように、一デナリにいたるまで委託された貨幣の報告をしなければならず、その一部を、神の栄光のためでなく、自分の享楽のために支出するなどといったことは、少なくとも危険なことがらなのだ。目の見える人々には今日でもなお、こうした思想の持ち主が見あたるのではなかろうか。人間は委託された財産に対して義務を負っており、管理する僕、いや、まさしく「営利機械」として財産に奉仕する者とならねばならぬという思想は、生活の上に冷やかな圧力をもってのしかかっている。
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 この思想の根には、聖書時代の貨幣=タラントが才能=タレントとなる構図とも関連し、才能や貨幣は神から貸し付けられた責務を伴う貸与という側面もある。
山本は日本人には支出の倫理はないというが、物に対するある種のケチの倫理はある。使えるまで使い倒して新製品を買わないというか。私は「物の性を尽くす」という「中庸」(参照)の倫理で教わったように思う。このケチの考えは西洋人もあるが、西洋人の場合は、支出の倫理に関係しているのだろう・日本人の場合は、物に宿る仏性みたいなものとつながっていたのではないかと思う。
>こう考えてみると、支出とは、近代人が神と人の前で自覚せずに行っている一種の懺悔であり、偽ることのできぬ自己表現である。
支出の倫理は(たぶん)図書館でむかし読んで強く記憶に残っていたのですが、後で買おうと思ったときにどの本に収録されていたのか思い出せずにあきらめた話です。すっきりしました。ありがとうございます。
変な話だが好きなだけお金を使えると言うツケはいつか払わされることになる。というのも1年あたりの利回りが、セキュリティー上、またはインフレヘッジ上、管理、維持分に対してパフォーマンスとしてみると、増えれば増えるほど、割高になりモチベーションが殺がれるから。平均寿命から逆算した分を考慮しても良い(時間の浪費とか)。後、全体的なことだと、稼いだお金は、どう配分するかの裁量を特権として自分が持つことになるので、好き勝手使わず指標に拠ったほうが良い。お金をテレパシーや恋愛にたとえると、伝わるときや恋人が見つかるときは嘘みたいに簡単にいくが、伝わらない、相手がいないとなると、一生無理のような絶望的な気分になる。天下を回ってるのに、何故か自分のところにだけ来ないという様な・・・。
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