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区別とは?/ アイフル

[ 582] 区別と差別
[引用サイト]  http://www2.snowman.ne.jp/~tb-ryo/ron3/ron18.html

顔を合わせた瞬間、悪い予感が頭をよぎる。応接室に座るなり「うちのRのことだけど」と始まった。(Rは軽度の小児マヒで歩行がやや困難な4歳女児である) これはその時に交わされた会話の一部始終である。
「ただ、家庭で両親や家族から教えられる場合もあり得るので、その事に配慮して全職員にその言葉が出た場合は即刻私に報告するように命令してある。私は以前からクラスにRちゃんがいない場所を作り、その事を十分理解できるように状況を説明する様にしている。未だに職員からの報告もなく、ましてや揶揄、嘲笑することではないのは当たり前だ。」
「一人一人に問いただすことは可能だが、その事でRちゃんへの関心が高まり、Rちゃんにとってもっと悪い状況になる可能性の方が心配だ。お父さん、お母さんの気持ちはよく理解できるが、お二人は一番重要なことを忘れている。考えてください。まずRちゃんにとって将来のために何をする事がこの時期に一番必要かを」
「幼児は足が病気なのだくらいにしか理解できない。よく耳にするのは、『Rちゃん、足どうしたの?転んだの?怪我したの?痛いの?』と不思議そうに尋ねる質問だ。決してこれは差別ではなく、自分と比べて違う事に気付き、その違いが不思議だからである。全く悪気も無く、何の意図もない。」
「次の様な例もある。アメリカ人の宣教師の幼児を預かった時の事だ。『どうしてAちゃんの目は青いの?』と園児が質問する。年長児だと『外人なんだ』と区別を理解する。だが、もちろん本人は幼児でも友達との違いを感じ『外人』だの『青い目』だのと言われる事は好まず、『ぼく、黒い目になりたい』と親を困らせたという事だ。入園に際して『外人』だの『青い目』だのと言わせないでくれと依頼された事がある。」
「こんな時は世界には多くの他民族がいる事を知る良い機会なので、全園児に数々の例を出して、同じ人間でも顔も色も髪の毛も違う人がいる事を、そして背が高くても太っていても顔が違っていても友達同士仲良くして、違っている場所を口に出してはいけないと理解させる。4歳前期ではまだ理解できない子もいるが、きちんと理解するように約束する。」
「Yさんのご家庭でビッコを愛称にしてしまうこと。『ビッコ、ちょっとこっち手伝って』『ビッコ、買い物してきてよ』と日常生活の中で慣れさせて、強い心を育て、足よりも人間にとってずっと重要な心と知能がある事を気付かせ、ハンデを嘆くのではなく、より人生に大事な目的に向かって進めるよう、努力するよう、励まして遠くから見守って欲しい。親が一緒になって怒り、嘆き、悲しむ事は、かえって彼女の人生にゆがみを作ることになる」と。
憐憫の情は決して本人のためにはならない。憐れみはマイナスの思考で、プラス面はほとんどない。例えば幼児が何かにつまずき、転んだ場合、誰も側にいないと一人で立ち上がるが、日頃保護者などが「オーイタイイタイ、ヨシヨシ。悪い石だね。ポンしたよ。痛かったでしょう?かわいそう」と声をかけると、今まで泣かなかったのが突然大声で泣き叫ぶ場面に出会った経験を持つ方は多いだろう。
これは自立を妨げる。また、他力本願、責任転嫁の概念を植え付ける事になる。さらに「イイコイイコ。強い強い泣かないのよ。アイスクリーム買ってあげるから」となればゴネ得と理解し、あらゆる悪の芽の源となるのだ。
先日、この逆の好例を耳にした。オリンピック金メダリストのQちゃんが、幼児期に股関節脱臼であったことを、そして両親が親の責任で育てようと心を鬼にして、励まし、堪え忍び、あせらず、あきらめず育てたとの話だ。これを知って改めて「自分で自分を誉めたい」と言った意味が燦然と輝くのを感じたのだった。そしてRちゃんの方向付けの助言が間違いでなかった事を自認したのである。
追記:Rとは20年後に某幼稚園で偶然出会ったが、私を見つけると私に向かって真っ直ぐに、大きく左右に身体を揺すりながら近づいてきた。その時の明るい笑顔が彼女のその後の生活の全てを物語っていた。
「私の子供、この幼稚園でお世話になっているんです。役員にさせられた事で先生に会えてよかった」との報告は、教師冥利に尽きる思いでの一齣となった。

 

[ 583] 言語学研究室日誌:「差別」と「区別」
[引用サイト]  http://blog.livedoor.jp/wnmtohoku/archives/13088201.html

在日朝鮮人が東京都の管理職(地方公務員)になるのを拒まれたのを不服として訴えた裁判の最終審の判決が出て、日本国籍がない者は昇任できないとの都の規定は違憲ではないとなったそうですが、こんなことは当たり前です。この程度の裁判がなぜ大々的に取り上げられるのか理解できません。日本国籍を持つ日本人でなければ、一定の公権力を日本国民に行使する立場に立てないというのは当然のことです。日本人が韓国や中国に行って同じような主張をしたら、どんなことが起きるか、サッカーアジア杯の時の重慶の騒乱を見れば、容易に想像できるでしょう。そのくらい不自然な主張です。在日朝鮮人の一部は現実に北朝鮮の秘密工作員として活動していることも考慮する必要があります。記者会見で、原告は「外国人には日本に来るなという判決だ」と述べていますが、勘違いも甚だしい。日本を哀れな国と評していますが、本当に惨めなのは貴方の方です(笑)。もしこうした公務員の管理職に就きたければ、日本国籍(実)を取得するか、さもなくば、朝鮮半島(名)に帰るか、二つに一つしかありません。こうした訴訟を正当化する文化装置として機能している「強制連行」神話はうんざりです(自発的に来た人も多いのです)。このような現実も考慮せずに、2名の裁判官が反対意見を述べたことにも大きな衝撃を受けました。これは差別ではなく、国境を越える時にパスポートを提示しなくてはならないのと同じで、単なる区別にすぎないのです。当たり前のことですが、日本は独立国家だということにすぎません。在日・強制連行の神話最高裁判事の国民審査は以前はどうでもいいというのが正直な感想でしたが、こうした裁判にどんな判断を下したのか、問題のある判断を下した判事は誰なのか、ウェブ上に書き込んでおいて、国民審査の前に参照できるようにしておくと良いのではと思います。今回は、滝井繁男・泉徳治の両名ですが、この二人については再任拒否の投票をするつもりです(ぶんたばさん、情報有り難うございます)。 アメリカの最高裁の判事の交替がとかく政治問題化する(例:黒人保守派を代表するクラレンス・トーマス判事の就任をめぐって起きたセクハラ騒動)のを目の当たりにした今、日本でも最高裁判事が下した判決の中身に関心を持ち、問題のある判事の再任を妨げる活動を行うべきではないかと思います。教員としての資質に問題のある教員が免職になるのと同じことです。創価学会=公明党や日本共産党が自らの主張を社会に浸透させるため、公権力を代表する法曹界に創価学会員や共産党員を送り込もうと必死に運動しているのは周知の事実(かつてのオーム真理教も高学歴者をスカウトしました)ですが、永住外国人としての在日朝鮮人の選挙権を認めようという売国的な運動(その理由についてはこちらを参照)を推進する創価学会員が万が一にも最高裁判事になったら、このような至極当然の判決も出なくなる可能性が充分にあります。手遅れになる前に、最高裁判事の政治的思想にも充分な注意を払うべきでしょう。これはアメリカでは常識ですから、最高裁判事の選任・承認過程があれほどの大問題になるのですが、日本でも早晩そうなるでしょう。今回は幸い常識的な判決が出ましたが、次回以降もそうなるとは限らないのですから。「国家」を見失った日本人―外国人参政権問題の本質
誤解されないように言っておきますが、差別が良いというのではなくて、公務員はあくまで日本人の日本人による日本人のための公僕なのですから、国籍による制限がある方が合理的だということです。他国籍の人間が何故日本の内政に口を挟めるのでしょうか。実に不可思議な人たちですね。アメリカは言うに及ばず、何らかの国家権力を持つ場合に資格制限がある方が普通なのですが、この原告の日本という国家への甘えは度を越しています。判決後の記者会見も見ていて非常に不愉快な発言を続けていて見ている私まで気分を害しました。日本の便利な所だけ都合良く利用しておいて、よくそんな図々しいことが平然と人前で言えるなと感心します。価値のない無駄な裁判をやり続けた根気にだけは敬意を表します。私にはこんなばかばかしい裁判は出来ません。また、彼女の人間としての品性を疑わせる発言のおかげで迷惑する人が大勢出るでしょう。あのような発言が引きおこすであろう反響への鈍感さにも驚かされます。
最高裁でひとつの判決が出る。在日韓国人の保健師が東京都の管理職になれるか否かの判断となる。国籍条項、26日大法廷判決=都管理職試験の受験拒否(共同通信01月24日16時13分)日本国籍でないことを理由に管理職選考の受験を拒まれた東京都職員の保健師で在日韓国人女...
東京都の管理職選考に、日本国籍を持たない外国人の受験を認めるかどうかで争っていた「都管理職国籍条項訴訟」の最高裁判決が出ましたね。結果は二審判決を棄却、外国人の受験拒否は憲法違反にあたらないとの見解を示しました。
東京都内の保健所で働く在日韓国人の女性が「課長になりたい」と思い立つ。都は昇進試験を受けさせない。管理職は日本人に限る、というのだ。そんな都の冷淡な措置を全面的に追認する判決が最高裁で言い渡された。
みなさんご存知のように、都職員の韓国籍(在日二世)の女性が管理職登用試験への受験を拒否されたのは違憲だということで裁判を起こしていた最高裁の判決が出ました。
ソースは毎日。 日本国籍がないことを理由に東京都の管理職試験の受験を拒否された韓国籍の都職員女性が、都に200万円の賠償などを求めた国籍条項訴訟の上告審判決が26日、最高裁大法廷(裁判長・町田顕長官)であった。判決は「受験拒否は法の下の平等を定めた憲法.
東京都が国籍を理由に在日韓国人による管理職試験の受験を拒否したことについて合憲と言う結果がでた。 外国人の採用や昇任をどこまで認めるかは、地方自治体の対応が分かれている。判決は地方公務員の中でも、「住民に直接、公権力を行使したり、重要な施策を決定したりする
チラッとテレビでニュースを見た時は、「この年齢の女性なら、日本人だってなかなか管理職にはしてもらえないだろうね」と思ったんだが、ご本人の会見の言葉を聞き、ちょこちょこっとググってみたら、たとえ「日
外国籍職員訴訟、昇任試験拒否は合憲 [asahi.com] 日本国籍がないことを理由に東京都が管理職試験の受験を拒否したことが憲法の保障した法の下の平等に違反するかどうかが争われた裁判の上告審で、最高裁大法廷(裁判長・町田顕長官)は26日、「重要な決定権を持つ管理職へ
東京都職員の管理職登用試験をめぐり、「昇進できないのは憲法違反」として都を訴えいたのだが、その結論が「法の番人」によって出された。
微妙な問題ですよね。最高裁まで争われた以上、原告の女性にとっては人生を賭けた大切な問題だったのでしょう。
こうした、案件に関しては、そうしたご本人の心情もある以上、微妙な問題だと思いますが、あくまで、一般論を自分個人としてどう捉えるかということで書かさせ
堺市は19日、民団大阪・堺支部(鄭鎬栄支団長)で「在日外国人の人権」をテーマに学習会を行った。これは来年4月の政令指定都市移行を前にした全庁
としさん、こんばんは。もう参ります。「在日朝鮮人」というだけで自分が特権的な人間だと勘違いしている困った存在です。国籍(義理)を取るか、銭を取るかの選択で、後者を自分で選択して取ったのに、その帰結を自分で引き受けずに全部我々日本人のせいにする無責任な態度は傲岸不遜としか言いようがありません。あの記者会見を見ていた日本人は皆そう思ったでしょう。明日からどんな顔をして働くのでしょう。私は以前東京都に住んでいましたが、あんな無責任な地方公務員に自分の払う税金が使われたかと思うと非常に腹が立ちます。・
彼らはすぐ、”強制連行”の過去を持ち出し、ヒステリックに被害者意識をむき出しにしますが、ここは”日本”であるというと、公務員は日本国のために働くのだということを、まずは理解してもらわないといけないみたいですね。
もう一つ思い出しました。公務員ってなる前に確か「日本国憲法を遵守します」という署名をするのです。私も前任校の旧国立大学に着任した時に署名をしましたが、教員・職員の別を問わず、こうした署名はあるのではないかと思います。国家公務員だけかもしれませんが。もしこの原告が最高裁の判決に異議があるのであれば、日本国憲法を認めないということになるので、現在の職をまず辞めてから記者会見で文句を言うのが筋だったと思います。この辺が彼女の非常にさもしい所です。こうなったら、国家公務員であれ、地方公務員であれ、着任前に「日本国憲法を遵守し、日本国に忠誠を誓います」という文書に署名させるようにするべきだと思います。言質を取っておけば、何かあった時に訴追・罷免できますから。
彼女は「同じ外国人のため」といいながら在日のほうしか向いていないように思えます。それも「外国人差別」なんじゃ?と記者会見を見ながら思いました。
ぶんたばさん、情報有り難うございます。さっそく書き加えさせていただきました。ただ、国民審査は今後やらなくなる可能性もあるようです。
さておき、今回の件の様な「当たり前のこと」が、ともすると様々な理屈でひっくり返されかねないことが多いと感じて、日々少なからぬ不安を持っておりました。「多様な価値観」という美名を旗印に、「常識」や「議論」は少なくとも我が国からは駆逐されてしまうのではないかと・・・。
私も今後きちんと勉強をして、「オカシナ方向?」にきちんと意見を言える様にして行きたいと思っております。
しんさん、情報有り難うございます。10年後ですか。せめて5年後に出来ないのいかなあと思いますね。あまりに間隔が空きすぎです。でも、終身制のアメリカの最高裁判所よりはましでしょうね。
国が個人を規定する枠組みにしかならない、そういった既存の考え方にたくさんの人が疑問と限界を感じているのが今回の判決がよんだ反響に見て取れる。
個人が能力を存分に生かすことの出来る社会やコミュニティの新しい有り様を示すのに、今回の判決は失敗した。正しい、間違いではなく、未来の指針を描けなかった。
ただ、EUも新しい社会の有り様を模索している。アジア圏においても、シンガポールなどに先を越される前に、価値観の先進国になれるといい。
江口さんの意見(「国民国家を越える」枠組みの必要性)には同感ですが、今の段階で日本でこのタイミングで実行するのは危険が大きすぎるというのが本音です。TVコマーシャルで「アジアンビューティー」(これは主に東アジアということでしょうが)などと言っても「アジア」という概念が広すぎます。そもそも福沢諭吉が唱えた「脱亜入欧」論は、
中華的秩序からの離脱を求めてのことだったと思いますが、日本は人種的にはまぎれもなくモンゴロイドですが、価値観としてはもはやアジアではなくなってしまった感があります。留学中に、日本人留学生がしばしばハウスメイトとしたのが他のアジア圏からの留学生(中国、台湾等)ですが、往々にしてトラブルが発生していましたが、どういうわけか欧米人がハウスメイトの場合はトラブルは私の知る限りでは余り起きていませんでした。
どうやらプライバシーの感覚が他のアジアの国からの留学生と日本人ではかなり開きがあるというのがトラブルの主な原因だったことが多かったらしいのですね。ここのケースを詳細に調べたわけではないので、あくまで表層的な感想ですが。私のごく限られた経験から得られた感触では、「坂の上の雲」を求めてひた走った結果、日本はどうやらアジアの他の国から(そして言うまでもなく欧米諸国からも)かけ離れた国になってしまったのだということです。私はもはや旧世代に属しているので、最近の世代についてはわかりませんが、日本と他の東アジア諸国は私が事前に想像していたよりも(幸か不幸か)距離があるというのが正直な感想です。この距離は昨今の一過的な韓流ブーム程度では解消できないだろうとやや悲観しています。シンガポールをモデルにしてほしいとは思いません。また、EUにしても、EUからの留学生に聞くと、トルコを入れてしまった段階で共同体としてまとまる意義又は求心性が失われてしまったという声が多いです。キリスト教の絆で緩やかに何とか結ばれていたところに、世俗主義が建国以来の国是とはいえ、イスラム教徒が国民の大多数を占める国がEUに入った(はずですよね?)のですから。どのように国民国家を越えるかという課題については多くの人が多くのことを書いています。今はその中に私からつけ加えることを何も思いつかない状態です。
はじめまして、最近このブログというものを知りました。朝日誤報(虚報)事件でいろいろな方のブログを拝見させてもらいました。
そのブログを見ていて外国の勢力が日本をやっつけようとするように感じました。日本人はどちらかというと感情が先にたつので、冷静な分析ができない民族であるなあと感じています。たとえば、子供が携帯を買ってくれというとき、皆が持っている。と言うんですが、何人持っているのというと、2,3人という有様です。あんまり何にも考えていないですね。
アメリカでは特に韓国人の入国を制限しだしてるという話も聞きますし(事実?)日本が科学的に冷静な分析のできるような社会になるようにしていきたいですね。
八兵衛さん、こんばんは。最近、『ホロコースト産業』というタイトルの本を見つけました。著者は両親が強制収容所からの生還者であるユダヤ人です。彼は、同胞がホロコーストをねたに被害者面をして次々に金を巻き上げていくさまを痛烈に批判していますが、まったく同じようなことが日本に向けられる韓国・中国の罵倒についても言えると思います。「従軍慰安婦産業」、「強制連行産業」、「南京虐殺産業」等々、枚挙に暇がありません。本の帯には「....歴史の真実と記憶を汚し、いまや米国ユダヤ人エリートのためのイデオロギー兵器、政治的・経済的資産と化した『ホロコースト産業』....」とありますが、「南京虐殺問題」やら「従軍慰安婦問題」やらは、実際に存在したことが証明されているホロコーストと比べて、虚偽であるか、その真実性が極めて疑わしい性格の事件ばかりですから、アメリカの「ホロコースト産業」よりも、はるかにたちが悪いのです。この本の原著のアメリカでの出版を同じユダヤ人のチョムスキーが支援したそうです。
趣旨の不明な書き込みがありましたが、自分のURLを書かない単なる書き捨てコメントは(不在のため対処が遅れましたが)原則として削除します。

 

[ 584] ゲームに熱中しすぎて現実との区別が曖昧に | WIRED VISION
[引用サイト]  http://wiredvision.jp/archives/200501/2005011302.html

最近、ナムコの『プレイステーション2』用ゲームで、カルト的ヒットを飛ばしている『塊魂』(カタマリダマシイ)。このゲームを3日続けてプレイしたロサンゼルス在住のアーティスト、コージー・キッチンズさんは、コントローラーから手を離しても、このゲームのことを簡単には忘れられなくなっているのに気づいた。
『塊魂』は、主人公が塊を転がして、通り道にあるありとあらゆる物体を巻き込みながら塊をどんどん大きくしていくというゲーム。キッチンズさんは、ものを拾い続けたい衝動がなかなか消え去らないという体験をした。
「車でベニス大通りを走っていたときのことだ」と夫のダンさんは振り返る。「突然、妻がハンドルに手を伸ばしてきて、一瞬だがハンドルを右に切ろうとした……。(それから)手を離して、じっと窓の外を見ていたかと思うと、呆然としたような顔で私を見てこう言ったんだ。『ごめんなさい。さっき通り過ぎた郵便受けを拾えたら、と思ったの』」
略奪行動に走る『塊魂』のプレイヤーなどというものを、ドライバーや歩行者が心配する必要はさほどないが、コージーさんのように、現実生活での意識とゲーム中のそれとが混乱してしまうという経験は、筋金入りのゲーム愛好者の間ではよくある出来事なのだ。あまり頻繁に起こるため、ゲーム会社は顧客に向けてこんな警告を発することも考えたくなるかもしれない――ゲームをすると、まもなくゲームと現実の区別がつかなくなる可能性があります。
「昨夜も変なことがあった。半分眠りかけのボンヤリした状態のとき、なぜか自分が『塊魂』をプレイしていて、夢の中でずっと妻を塊に巻き込もうとしていたんだ。私は妻が何時間もゲームをしているのを横でただ見ていただけだが、おそらくそれが原因だと思う」とダンさん。
「あるとき、ガールフレンドが偶然に木を見つけた……丸く茂っていて細い、ちょうどゲームに出てくるのと同じような木で、彼女はそれを揺すりはじめた――ゲームでは、そうやってお金やアイテムや虫なんかが手に入るんだ。もちろん、実際には木から何も落ちてなんか来ない。そのとき、公園にいたたくさんの人々が自分の行動をどんな目で見ているか、彼女もすぐに気づいたみたいだ」とワイズバーグ=ロバーツさん。
『タイム』誌の記者でゲームのレビュー記事を担当しているクリス・テイラー氏は、ドライビングゲームや1人称視点のシューティングゲームなどは、とりわけプレイヤーの現実感覚を麻痺させやすいと語る。
「ゲーム後にオフィスの廊下に出ると、同僚たちが標的のように見えて仕方なかった。動くものなら何でも殺すというのが癖になっていたのだ」とテイラー氏。
習慣性のあるゲームならどれも同様の影響がある。長くプレイすればするほど、ゲームをし終わったあとまで心がゲーム世界にとどまりやすくなるのだ。米エレクトロニック・アーツ(EA)社の『ザ・シムズ』のようにのめり込むタイプのゲームは、プレイに長い時間を要することから、しばしば非難の的となっている。
『ザ・シムズ』を愛してやまないローラ・マーティンさんはこう話す。「よく(『ザ・シムズ』を)プレイしていたころは、『今、膀胱の何パーセントまで尿が溜まっているかしら?』などと考えて、トイレに立つ時間を決めたりしていた」
ノースウエスタン大学の博士課程でビデオゲームを研究するロビン・ヒューニケ氏によれば、プレイしているゲームと現実とを切り離すのが難しいと人々が感じるのは当然のことだという。
「ゲームの基本は動作――つまり自分が何かをすることにある。ゲームをしている間、プレイヤーは動作に意識を集中させる。優れたゲームは、動作に意識を集中することでプレイヤーが心から満足感を得られるように作ってある……。ゲームの世界にいるとき、人は何かの動作を実行したり、学んだり、練習したり、新しく組み合わせたりする。それを長時間やっていると、しばらく余韻が残る。ときには深く身に染みついてしまうことも……。コントローラーを置いたあと、家の中で動いたり車に乗って買い物に出かけたりしていると……突然、ゲームでするのと似たような動作をすることがある。そうすることで、脳の中にある『一定条件になると連動して引き起こされる行動』のスイッチをオンにしているのだ」とヒューニケ氏。
「プロジェクトが仕上がるころには、極度の寝不足でもうろうとしていて、目に見えるものを何でも修正したい、レイヤーをかけて加工したいという気持ちに駆られた」
リサ・ホフマンさんは、グラフィック・デザイナーという職業柄、毎日さまざまなソフトウェアを何時間も使っているため、どこまでがコンピューターの世界でどこからが現実世界か判断するのに苦労していると嘆く。
「長時間コンピューターの前に座り、ソフトウェア上でやった操作を取り消すためにCtrlキーとZキーを繰り返し使っている。そのため、現実の生活で何かやり直したいことがあると、いつもこの2つのキーに手が伸びてしまい、何も起こらないと不思議な気分になる」とホフマンさんは語った。

 

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