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過ぎとは?/ レイク

[ 333] 請求書は締め切りが過ぎたら支払ってもらえない? | エキサイトニュース
[引用サイト]  http://www.excite.co.jp/News/bit/00091210518661.html

たとえば自営業など、請求書を送ってそれに対して支払いをしてもらう職業の場合、大変重要なことでありながら、意外と頭痛の種になるのが「請求書の発行」だ。「請求書をつくるのも仕事の一つ。期限内に送るのは常識」というのは、もちろん当然。だが、仕事が立て込んでいる時期など、ごくわずかなギャラのために、かなり面倒くさい経費の精算をしなければいけないときなどは、ちょっぴり泣けてくる。私事で恐縮だが、自宅で電話取材をさせられまくったうえ、後日、電話料金明細書の該当箇所1件1件にマーカーでチェックをし、経費を請求しなければいけなかったときは、「いっそ精算しなくても、タダ働きでもいい!!」という気にもなった。また、カメラマンと2人分の取材費(航空券・宿泊代など)15万円程を立て替えさせられ、担当者が経費の精算について何も教えてくれなかったため、半年以上もずっと放置されていたというマヌケで悲しい過去もある。このとき、「決算が過ぎているので、支払いは難しい」などと仰天の対応をされ、なんとか後日支払いはしてもらえたものの、すっかり恐怖が刷り込まれてしまった。状況は異なるものの、今も「○月末までに請求書をお送りください。過ぎてしまうとお支払いできない可能性があります!」などと仕事相手に言われることがよくあるのだが、これって本当に払ってもらえないもの? ある弁護士に聞いてみると……。「実際に仕事をしたわけだから、代金支払いに関しては、請求書の送付期限を過ぎても、法律的には払ってもらえます。ただし、事実上の問題として、相手は企業であるから、会計にまわして、会計が振り込むことになりますよね。会計には当然、会計月度、年度などの締め日があるので、締め日以前に送ることは大原則です。過ぎてしまうと、煩雑になり、支払うのが相当困難になりますから」法律的には「支払ってもらえる」が、事実上の問題は別とのことだった。これは経費精算なども同様だそうで、「たとえば、送付期限をこえて請求すると、円滑な受発注ができなくなり、トラブルのモトにはなりますよね。今後の付き合いを考えると、泣き寝入りすることは多いかと思います」確かに、会計担当者の立場からすると、期限を守ってもらえないと困るのは当然のことだけど……。でも、モメたことで仕事を失うくらいなら、と思う人は多いのかもしれない。ちなみに、アテにならないのは「(次の仕事のとき)色つけときます」という言葉。発注され、途中まで作業をしていて途中でポシャった案件などに関しては、実質タダ働きになるため、たいていこの言葉が使われるけど……。具体性が何もないだけに、十中八九泣き寝入りです。ご注意を。(田幸和歌子)
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[ 334] 「かわいそうなぞう」はなぜ「かわいそう」か - 過ぎ去ろうとしない過去
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080523/p1

今は道徳の時間です。あなたは小学校の教師です。道徳の時間はテレビ見せてればいいだけですからラクなものです。今日のテーマは「かわいそうなぞう」。舞台は戦中の日本。空襲が激しくなった大都市で、参謀本部は動物園の動物達を殺すことを決断するのです。当然飼育員は反対します。しかし軍は「オリが壊れて猛獣が暴れてもいいのか!」といいます。それ以前に軍に逆らえるはずがありません。泣く泣く飼育員は動物達を殺すことを決断します。ところが、ぞうのハナコだけは毒の入ったエサを食べません。飼育員は、エサを与えないで餓死させるようにしました。ハナコは、弱った体で芸を見せます。芸を見せればエサがもらえると思っているのです。感動の名場面!女の子の一部は泣いています。後ろでハナクソほじっている奴は無視です。モンハンやっている奴を発見したら、取り上げるかもしくはまざりましょう。さて、そのようなハナコの努力も空しく、ある日飼育員がオリを覗いたら、ハナコは死んでいたのでした。
物語は、現在の楽しげな動物園の様子を移してエンディング。あなたはテレビのスイッチを消します。そのとき、いちばん後ろで拍手が起こります。そうです、あれは我らが経営学者様です。「すばらしい!参謀本部も飼育員もトリアージを理解している!かわいそうと言うだけでは何も解決しない!」
さてあなたはその後、彼を教壇まで招いて、うやうやしくトリアージなるものについての講義をお願いするべきでしょうか。おそらくあなたがするべき最善の行動は、ぽかんとしている子供たちを横目に、丁重に経営学者様を教室から追い出すことでしょう。なにやらホンネだかネンネだかおっしゃっているようですが、我々にはあまり関係が無いことなので無視してしまって結構です。
さて、「限られたリソースを適切に分配すべきである」という言説について考えてみましょう。こんなこと当たり前です。はっきり言って、これ自体では何も言っていないのと同じです。問題は「適切な配分」とは何かです。
資源の有限性がその合目的的な最適配分を促し、戦略性やリーダーシップや組織内の規範意識も意思決定も価値判断もそこから始まる
経営学者様はこれが肝心だといいます。例として彼は四川大地震をあげました。ぼくもひとつ適切な例を知っています。ホロコーストです。
資源の有限性(アーリア民族の生存圏)がその合目的的(アーリア民族の生存)な最適配分(アーリア民族への配分、障害者やユダヤ人の切り捨て=虐殺)を促し、戦略性(ガス室)やリーダーシップ(総統の独裁)や組織内の規範意識(ハイル・ヒトラー)も意思決定(最終的解決)も価値判断(アーリア民族至上主義)もそこから始まる
これこそ経営学的には素晴らしい組織です。ユダヤ人がかわいそう?そんなこと言ってたら(最終的)解決しませんよ!偉大なるアーリア民族が貧窮してもいいんですか?というわけで、経営学の理想はナチス・ドイツだったのでした。
トリアージという発想がもともと野戦病院発、いかに効率的に人を前線に再投入するか、つまりいかに効率的に人を殺していくか、という考えから出てきたものです。われわれはそれがいかに人を助けるかという救急救命の思想へと変容していったかという、歴史社会学的な観点を持つべきです。この点で今現在、四川省で、あるいはかつて福知山線の事故で救急救命にあたった医療関係者にたいしては、当然敬意が払われるべきです。しかし、われわれは同時に、このトリアージという概念が戦争における技術的価値観から生じたものであり、トリアージはけしてその矛盾から逃れることは出来ないということは忘れてはなりません。なぜならば、トリアージがいったん、たとえば我らが経営学者様の手にかかって、救急救命の手を離れ一般的に通用する理論としてみなされたとき、上のような全体主義思想が復活するのです。
「かわいそう」の一言は、その全体主義にたいする、プリミティブな異議申し立てに他なりません。いわば、「王様は裸だ」と叫ぶ無邪気な子供のようです。たくさんの兵隊を連れて行進する王様にたいして、片やもう一方の経営学者様は彼女の単位を左右します。童話の王様は恥ずかしくなって逃げ出しますが、現代の王様は一味違います。「バカだなあ。王様が裸なんて当たり前じゃないか」と自らの裸を誇示するのです。
さて、「かわいそうなぞう」は何故「かわいそう」なのでしょうか。ぞうのハナコは、人間の安全を取るか、動物の命を取るか、という「苦渋の」合理的決断に殉じたのではありません。戦争、日本軍、あるいは「動物園」という形態……さまざまな人間社会の欺瞞によって殺されたのです。つまり、ハナコは合理性という王冠を被った裸の王様に殺されたのです。
それでも、このような欺瞞こそが人間社会なのであって批判は青臭いというなら、それはそれで構いません。ただしそのとき、我々はアウシュビッツを批判する視座を失うわけですが。
算数の時間だったんだけど、例題があんまり道徳的じゃなかったんで保護者に怒られた的な?全体主義と普通の社会は滑らかに繋がってるんじゃないかな。普通の社会がいつの間にかアウシュビッツになりかねない、ということをして、「アウシュビッツを批判できない」ということは無いような気がするけど。俺、関係ない話してる?
「全体主義と普通の社会は滑らかに繋がってる」からこそ、われわれが普通の社会を批判する視座を失った場合、それとは切り離されたアウシュビッツ批判が存在すると思うことは幻想になるんじゃないの。
こんばんは。ブクマで返答して頂いたので。門外漢なんで通俗的理解しかしてないんだけど、ユダヤ人虐殺ってナチの自己目的じゃなかったの?つまり、いつ頃出てきたかとか、党のどの辺りが主体になったかとかいうことではなくて、その作戦が自己完結していて、それよりも上位の「合理的」目的を持たなかった、という風に理解しているのだけど、間違い?(エントリと関係ない話で申し訳ないのですが。)って、書いてから気づいたけど、>資源の有限性(アーリア民族の生存圏)がその合目的的(アーリア民族の生存)な最適配分(アーリア民族への配分、障害者やユダヤ人の切り捨て=虐殺)を促し、戦略性(ガス室)やリーダーシップ(総統の独裁)や組織内の規範意識(ハイル・ヒトラー)も意思決定(最終的解決)も価値判断(アーリア民族至上主義)もそこから始まると、いう話なら例としては適切なのかな。トリアージとか経営上の合理性とかいう話なら、農業集団化とか強制徴発の方が分かりやすい気もしたのですが。目的それ自体の妥当性を置くとしても(しかし、如何なる目的意思においてなされるのかが明言されない「合理的判断」なんて代物は、果たして成立するのでしょうか)、その手段として合理的かつ妥当なものであったかどうかという問いも可能なわけで、「適切な分配」なんて抽象的なこと言われても「で?(笑)」という気も。「かわいそう」は十分、合理的判断です。
まあ(文型)院生と大学教授のどちらが忙しいかといえばその辺りは明らか過ぎるので、そんくらい分かってるだろ。
もう一つここでhokusyuさんがアウシュビッツを例えに出したのはhokusyuさんがドイツ史の専攻だからで、ソ連でも無論かまわないし、日本なら南京事件とか占領下ベトナムの大飢饉とか、他の国でも例はいくつもあると思います。基本的な論点は「例外状態」の想定をうかつに使うのは危険だし愚かだということですから。
『正論」ですねでも、現実世界ではリソースに限りがあります。医療の目的が「全ての人々を救う事」にあるとしても、それが適わない場合には次善の策として「出来るだけ多くの人を救う事」を目指すべきでしょう。為政者が「トリアージで充分だ」と考えてしまう事は問題ですが、現場担当としての「最善(もしくは次善)」がトリアージなのではありませんか。トリアージを非難出来るのは「自分なら全ての人を救える!」と言える人だけだと思います。> トリアージという発想がもともと野戦病院発、いかに効率的に人を前線に再投入するか発祥が何であるかと言う点を問題とするのは、出自を非難する事と同じで『偏見』です。> いやだって、どう見ても上のって全体主義理論じゃん!資源が無限に使えるなら経営などする必要はありません。資本家になれば良いのです。経営者と言うのは例え大企業の社長であっても「現場担当」です。サヨクの人にはそれが分からんのです。経営学は帝王学とは違います。 > 「かわいそう」の一言は、その全体主義にたいする、プリミティブな異議申し立てに他なりません。> いわば、「王様は裸だ」と叫ぶ無邪気な子供のようです。大学生が『無邪気な子供』で良いのか、との問題提起と理解したのですが。
>「かわいそう」の一言は、その全体主義にたいする、プリミティブな異議申し立て 「かわいそう」といって「無限のリソース」になるのだったら、異議申し立てになるでしょうが、そんなわけありません。 現実はなにも変わらないのになにが異議申し立てなのでしょうか?なにが変わるというのでしょうか? 限られたリソースの配分が恣意的でなかった試しが有史以来あったでしょうか? 「かわいそう」といって人に資源を配っても、また新たな「かわいそう」な人をつくるだけです。「かわいそうな象」をつくらなければ「かわいそうな人間」ができるだけです。 小麦や牛や米に生命はないとでもでしょうか?他の生命奪って生き延びることには例外はありません。 どこかで恣意的な線引きがあるのです。 「豊かな人間の憐れみ」か「経営学的観点」か「医学的知識の蓄積」かの違いであって恣意的であるのには変わりないのです。 立場が違う利害が違う人々全てに納得できる恣意なんてあるわけありません。>、「限られたリソースを適切に分配すべきである」という言説について考えてみましょう。こんなこと当たり前です。はっきり言って、これ自体では何も言っていないのと同じです。 と、おっしゃるのなら、あなたの方こそなにも言っていないのと同じではありませんか?
>madashanさん>NakanishiBさんNakanishiBさんが紹介してくれたように(ありがとうございます)ホロコーストは「合理的」に行われたというのが今は一般的ですね。事実経緯を言うなら、絶滅収容所が企画されるのは独ソ戦以後であって、それまではマダガスカル計画とかいろいろあったのです。 >通りすがりさん>身が持たないねそこでトリアージです。 >高卒そこでトリアージです。 >toorisugariところで、ぼくは一行も現場でやってる人を批判してないはずなのですが、どこでそう読み取ったのでしょうか。発祥はうんぬんしないのに応用(経営学への適用)は平気でしていいのだという発想がよくわかりません。そもそも救急救命への適用自体、応用からなされたものです。となれば、単により多くの命を救っているというトリアージの「表面的な」正義だけでなく、合目的的に行われる殺戮、つまり戦争の技術としてのトリアージ(選別)の流れも当然あるはずで、それを恣意的に無視してよいのだという根拠はありません。
一部敬称をつけるのを忘れていました。高卒さん、toorisugariさん、ごめんなさい。 >taityou@8eggsなるほど、リソース配分は有史以来恣意的なものでした。そして「かわいそう」の声ももちろん恣意なのです。そして、あなたの言っていることは、王様は裸ですよと言っているだけで、実は何も語っていません。ぼくが批判したいのはそもそも、王様は裸ですよというときに、頭にはぴかぴかした合理性の王冠をかぶっている人のことです。つまり、人間の選択は恣意であるとすれば、それはどこまでいっても恣意(四川地震でも)なことにはかわりません。にもかかわらず、トリアージには客観的な基準があると思われています。呼吸は正常か、意識はあるか、などの情報において、機械的に選別をするだけだ、というわけです。しかし、実はそれも恣意なのであって、そこにヴォルテールがライプニッツにたいして激怒した理由があります。ところで、合理性の王冠は「例外状態」においてかぶられます。ところが、その判断も「恣意」なのです。toorisugariさんのように、現実の経済社会はすべて「例外状態」の中にあるのだという人もいます。そして、「永遠の例外状態」のなかで行われたのがまさにホロコーストでした。
かわいそうなぞうの「かわいそう」ってのは、「無力っぽさ」に対しての、母性的な庇護心をかきたてられる感情誘発の状態なんじゃないでしょうか。「賢いアウシュビッツの資源独占」に対するアンチテーゼ(ブレーキ)は、弱者間の共済。そのアルゴリズムは遺伝子レベルで既に用意されているので、あとはバランス調整して適切に起動させるだけでよい、って所ですかね。ただ、あくまで「ブレーキ」なので踏みっぱなしじゃあ車が動かないし。Good/Evilのニ値原理論ではなく、その場その場のダイナミックなバランスで …ってなんかスピノザっぽいですけど。
福祉予算はリソースが増えたんじゃなくて分配が増えたんだろ。つか、大学って小学校なんだ?算数の時間が道徳の時間にすりかわってるし。例えるなら、算数の時間に、例題に出てくる鶴や亀をカワイソウと言い出すアホの子、でしょう。
toorisugariさんではありませんが>ところで、ぼくは一行も現場でやってる人を批判してないはずなのですが、どこでそう読み取ったのでしょうか。あなたの言葉で返しましょう。「あなたの言っていることは、王様は裸ですよと言っているだけで、実は何も語っていません」何も語っていないから人はそこにさまざまなものを見て誤爆されるんです。

 

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