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豊かとは?/ レイク

[ 234] NHKスペシャル「ワーキングプア 働いても働いても豊かになれない」
[引用サイト]  http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/workingpoor.html

「フリーター漂流」では、非正規雇用という貧困をうみだす根源へと迫ったが、今回はこの非正規雇用の問題もふまえたうえで、地域や自営業の衰退、社会保障の貧弱さ、貧困の世代をこえた再生産、「希望格差」など、日本社会の全体像へと広がっていった。
「業務請負」を知らない人のためにいっておけば、請負元会社の集団ごと、別の会社の工場などに送り出されて、工場をもつ会社の指揮ではなく請負元の会社の指揮で働かされるという働き方のことだ。短い期間で仕事内容や仕事場所が目まぐるしく変わることが多い。資本にとっては、機械工程を組み立てるよりも安いコストでできる、まさに「機械以下」の存在である。
経歴書に「業務請負」という経歴が並んでいるという事実は、業務請負を積み重ねているだけでは何のキャリアにもならないし、スキルの蓄積にもならないことを正確に意味している。
たちまち資格や技術を得てこなかった「自己責任」という手慣れた非難が彼を襲いそうだが、「フリーター漂流」を見ていればそんな時間的・金銭的余裕が「業務請負」の世界にはありえないことがわかるだろう。
番組ではそこまでつっこんでいないが、もともとこのコストは、戦後日本では企業が支払ってきた。学卒者は基本的に学歴に応じて正社員として採用し、終身雇用してきたから、企業内で教育され一人前の社会人=企業人として育てられたのである。
小山さんは貯金がなくなり住居を失うとともに、仕事さえありつくのは難しくなる。家がない人を雇う職場は建設現場以外なかなかなく、そもそも彼は埼玉や神奈川に行く交通費が払えず、面接さえ受ける条件を制約されているのだ。
財界はさかんに「雇用の流動化」によって「多様な働き方ができるようになった」と喧伝するわけだが、実態はこのようなものだ。資本はいくらでも後から押し寄せてくる若い「失業予備軍」を吸収しさえすればいいのだから、フリーター(非正規雇用)は使い捨てである。
いわばウソをついた格好なのだが、ぼくは、「取り消されるのも仕方がない」とはとても思えなかった。ウソを書かざるをえないという気持ちがよくわかる。
番組では、ここで「ワーキングプアが増える背景」として非正規雇用の増大を原因の一つにあげて解説をおこなう。非正規雇用は雇用されている人の3分の1、1600万人におよぶ。「この10年、日本の企業が人件費を削るため、正社員の採用を抑えてきた」という問題の本質も正しくナレーションされる。
一つのケースは、衰退した商店街を追う。そこに高齢化と社会保障の貧困がからまりあって、貧困を脱出できない状況がリアルに映し出されるのだ。
すでに鈴木さんは年金生活なのだが、この入院代(1か月6万円)で消えてしまう。番組には出なかったが、おそらく国民年金なのだろう。満額でも6万円ちょっとしか出ないのだ。奥さんにも出ているはずだから、鈴木さん本人はその分で生活しているに違いない。店からの収入はほぼないに等しいのだから。
3700円が7000円とほぼ倍になるという通知だ。「2年後には医療費の自己負担が引き上げられる」というナレーションも入り、鈴木さんは口を真一文字に結んで黙ってしまう。やがて「やっぱり倍になったら払えないな。絶対に」と決然とのべる。鈴木さんは介護保険料の減免申請をしにいくのだった。
北九州市がコスト最優先の数値目標までもって申請を抑制してついに餓死者まで出したように、この国の生活保護行政は徹底して生活保護を受けさせないようにできている。100万円の貯金の存在はそれだけで行政側が難色をしめす絶好の理由になる。
「いつか2人でゆっくり旅行しよう」というのが夫婦の願いだったそうであるが、入院によってそれができなくなった今、おそらく妻の労に報いる鈴木さんのせめてもの意思表示は「人並みの葬式を出す」ということなのだろうと推し量れる。
ぼくの実家では父親が、祖母の葬式をたくさんの費用をかけて「盛大」におこなっているのを見たが、田舎では人生の終末をそのようにかけたお金に換算することが一つの幸福のバロメーターでもある。
妻の葬式をせめて人並みに、という鈴木さんの気持ちが伝わってくるのに、それを許さない「社会保障」とは何なのかという気持ちがこみあげてくる。
鈴木さんはこういって「笑って」からすぐ厳しい表情に戻った。なるほど手垢のついた表現であるが、本当にそうとしか言い様がないだろう。あなたにかけるお金は社会にありません、コストのかかるあなたは一刻も早く死んでほしいと、この国の「社会保障」は言っているのだ。
ここでは商店街の衰退と高齢化、それに年金・介護・医療・生活保護といった社会保障給付の貧困、そして生活を支えるはずの社会保障が逆に生活の貧困化を促進してしまっているという事態が、からみあって地方を襲っているという様子が「見事」なまでに描き出されている。
一つは観光地で漬け物を売っている農家で、農作業を終えてから自分の家でとれた野菜を漬け物にする作業をしていた。朝5時から深夜零時まで働く。
3世代10人が同居する大家族が紹介される。イチゴをつくるが、産地間の競争が激化したうえに肥料代や農薬が値上がりし、ついに昨年は赤字に転落したという。
ここでも、(1)政府がコメの価格保障を放棄し、市場化させたために生活を維持できないほどの下落がおきていること(2)その他の農作物も激しい市場原理にさらされ、生活を維持できなくなっていること(3)それをおぎなうはずの「地方への再分配システム」であった公共事業がなくなっていること、が典型的に描かれている。
ひとりは評論家の内橋克人、ひとりは放送大学教授の宮本みち子、そしてもうひとりは関西学院大学教授の村尾信尚である。ラジカリスト、改良主義者、新自由主義者をそれぞれそろえたという感じであろうか。
村尾は、国の予算が逼迫するなかで、社会保障予算を増やすには、構造改革による規制緩和の流れを止めるべきではないとする。
「困った人、弱っている人を救うのは政府の仕事。その財源は活力で、競争で稼いだ人からその財源をもってきてもらわないといけない。稼いだお金を税金か寄付という形で社会に還元してもらって弱者を救っていくという大きな構図をちゃんと提示してあげないと、いつまでも『貧しい人はかわいそうだからすぐ救え』ということになってマーケットで活躍している人々、強い人々、お金持ちの人々を攻撃する。それはよく全体を考えていただきたい」
従来、正社員や終身雇用として雇用に対する責任を果たしていた大企業はそれを切り離し、その分を利益としてためこんでいる。右の逆相関グラフをみれば、まさにこの番組のナレーションがのべた「10年前」あたりからこの逆相関が始まっているのがわかる。大企業は従業員とともに栄えるのではなく、従業員の所得を食いものにして生きているのだ。
村尾のいうように活力や競争で稼いでも、それは大企業内にストックされ、社会保障の財源として税金化されないのである。もし再分配機能を強めようと累進性を強化すれば「マーケットで活躍している人々、強い人々、お金持ちの人々を攻撃する」ものだと、たちまち村尾は非難を浴びせるのだろう。
「奪われていく子どもたちの未来」と題して最後に番組が紹介するのは、こうした格差が固定され、世代から世代へと受け継がれていってしまう危険性だ。
「収入の低い家庭に生まれた子どもが十分な教育を受けられず、進学や就職の機会までも奪われてしまうことです」とキャスターは述べる。
会社が経営難になり5年前にリストラ。職がなく、いまは3つのガソリンスタンドのアルバイトをかけもちしている。しかも割のいい深夜を週4回も入れていて、タクシーなどが殺到する。インタビューを受けている最中にも、ドアをあけたまま飛び出して車を迎える。
親子3人ではとうてい暮らしてはいけない。息子が学習塾に行きたいとせがむのだが、とてもそんな余裕はない。「長男は大学に進学し弁護士になりたいと思っていました。今ではその夢も難しいとあきらめています」とナレーションが入る。
そして、まるでこうしたワーキングプアの子どもたちの「未来図」であるかのように、路上生活から抜けだせない青年の映像が映し出される。
岩井さんの子ども時代の写真がいくつか登場するのが、「スポーツ選手になりたい」と寄せ書きに書いた小4のころは目に輝きがあるが、高校時代になると一気に暗くなる。
もちろんそんなナレーションなどつかないし、表情は偶然かもしれない。しかし、岩井さんの生い立ちを聴けば、表情がその境遇にかぶさっていると見ても不思議ではない。
そのあと、親から見捨てられた子どもたちの施設、児童養護施設の子どもたちが映る。親の養育の放棄の背景に「経済的事情がある」という施設関係者のコメントを紹介したうえで、子どもたちが「保育士になって子どもができたら役立てるようになりたい」「将来でかい家を建てて家族みんなで暮らす」と“夢”を語るシーンが放映される。
先ほどの3人の学者が再度コメントをしたうえで番組のラストにキャスターの鎌田が登場してこうのべる。
「こういう人たちに対して『努力が足りない』『個人の責任だから仕方がない』という人がいます。私たちの番組で取材に応じてくれた人たちはいずれも真剣に仕事を探し、家族のことを考えていました。努力をしない人、意欲がない人は一人もいなかったということを強調しておきたいと思います」
「フリーター漂流」にくらべて、きわだった特徴として、ナレーションや背景の解説に重要なポイントがあることがあげられる。
逆にいうと、事実と映像をほぼ積み重ねるだけでよかった「フリーター漂流」にくらべると少し解説チックではないのかというふうに見る人もいるかもしれない。
しかし、「自己責任」という感情に社会がとりまかれている中では、事実をつなげるだけでは問題が見えてこないという、この問題の特殊性がそうさせているのである。
「のどかな田園風景、にぎやかな都会の雑踏を眺めているだけではワーキングプアの問題は決して見えてきません」
これはワーキングプアがどこにいるかわからない、という問題だけにとどまらない。炊き出しをもらう若いホームレス、雑誌をあさっている若いホームレスがいれば「どこにいるか」くらいは一目瞭然だ。しかし、そうなってしまうという問題の背景に、日本企業の戦略の変化、正社員の抑制、非正規雇用の増大、地方への再分配の激減といった原因が積み重なっていることは、「理論の目」で見なければ見えてこないのである。安易に「努力しないからああなった」という結論を実に導きやすい言論環境に、ぼくらは生きている。
この番組のナレーションは、社会の構造的な背景をきちんと押さえている。それだけでなく、一見何気ない生い立ちの説明のなかにもその「構造」を透かせて見せる工夫をしている。
冒頭の小山さんの例では、地元の宮城県でバブル崩壊後に高校を卒業し「正社員の事務職」がなかったという事情を伝える。そして、2年間つとめた「警備」の仕事も、「公共事業が減ったため」になくなってしまうことを報じている。
あるいは、「テーラー・スズキ」を営んでいた鈴木さんのいた商店街の飲食店がかつて「近所の商店主や農家を顧客にしていた」とナレーションされたように、農業や公共事業による地方再分配の結果がそこに反映していることを暗示させる。
完全な謬論というものはほとんど存在しない。まちがった議論とは、たいてい物事の一面を肥大化させた議論である。いわゆる「一面的」ということだ。この番組ではできるだけ「自己責任」だという非難を引き起こさないようなケースを慎重に選んだ形跡が見受けられる。
しかし、現実には、おそらくその人の責任だと見てしまうような「手落ち」がいくらかでも含まれているケースが大半だろう。どこかに「自己責任」の瑕疵を見いだそうとすれば、見出せるものである。
しかし、だれもが多少の失点がありながら、社会がそれをカヴァーする。「自己責任」だと責めらている「負け組」の人々の少なくない部分は、社会の構造や流れが違っていればそれは救われたはずのものではないか。
さっき述べたように、ぼくは高度成長期の若者と今の若者が責任感においてそう違うとは思えない。むしろ、安定したレールをもたない分だけ、たとえば大学では資格取得などに目の色を変えている学生は今の時代の方がはるかに多い。
もし十分な正社員採用枠のもと、企業内教育と終身雇用があれば、「不出来」だった若者は鍛えられ、「企業人」として変化したはずである。そのことは矢口高雄の漫画を論じたときにもぼくは述べたし、20年前にある工業高校の教師が書いた本にもこんなことが書いてあったのを思い出す。
〈遅刻と欠席、そして“反抗的”態度によって就職が危ぶまれていた生徒の一人、もと番長の親玉だったという猛者が、本人も驚き両親も信じてくれないような大手企業に就職してしまった。/「おれ、やばいよ。本当に受かっちゃったよ。やばい、ばれねえかな」を連発し、級友たちからも冷やかされていた。/しかし今、「あんな生徒が欲しい」という声が、ほめことばと共に企業から届いている。外向的で積極的な憎めない性格が愛されているらしい。目のやさしい、いい意味でも悪い意味でも、調子がよく笑顔のいい生徒だった。/つくづく思うのだ。いくら遅刻があり欠席があり、少々の赤点を重ねたとしても、いや、そういうのに限って学校を離れると、まるで水を得た魚のように生き生きと伸びていくのだ。/授業中は前の生徒の陰にうまく隠れて眠りこけるか、マンガを読むかし、注意されれば教師にくってかかり、行事も掃除も怠り、遅刻をこれまた屁とも思わず、「いつまでもつかね」と言われた生徒も、帰宅後毎日のように専門の学習やレポートに励んでいるという。仕事のために。〉(樋渡直哉『普通の学級でいいじゃないか』p.281、地歴社)
生徒の中に可能性が眠っている話として筆者は書いているのだが、〈それにしても学校は職場に負けている〉と述べているように、そこにはかつての日本企業が終身雇用下でひとを育て上げる力のようなものが垣間見えるのだ。
非正規雇用の増大と終身雇用の解体は、若者を育てる社会装置の解体でもある(むろん、その装置は単純に自立した市民を育成するのではなく、利潤追及体に奉仕する人間への変化を伴っていたのであり、手放しで賞賛できるものではなかったのだが)。
それなのに、大資本はそのことをすっかり忘却して、いまの若いやつらはダメになったから「人間力」をつけさせるなどという傲慢な言い分でのとりくみも行われたりするのである。(参考)
「自己責任か社会の責任か」という二項対立ではなく、社会の構造という根本をまったく見ずに「自己責任」にのみ帰着させるところに、その議論の一面性がある。もちろん、このワーキングプアの問題は、たんなる並列ではなく、より根源は「社会の構造」にあるのだとぼくは考えるし、この番組はその立場にはっきりと立っている。
この番組の終わりにキャスターが述べたこと――「私たちの番組で取材に応じてくれた人たちはいずれも真剣に仕事を探し、家族のことを考えていました。努力をしない人、意欲がない人は一人もいなかった」という言葉には、「まじめに働いた人が報われる」というものを考えるヒントがある。
実社会は学校ではない。だから努力した量、流した汗の量に比例して報酬が決まるわけではない。求められた課題に「成果」が出せない人にはいくら努力しても報酬は与えられない――社会の「厳しさ」を表す言葉としてそういう言葉もある。そのイデオロギーを賃金制度として確立したのが「成果主義」賃金であった。
この思想は、成果が出せた人と出せなかった人との間に何らかの報酬によって差をつけるべきではないか、という意味で一定の正当性がある。しかし、努力したが成果を出せなかった人間の生活保障について何の言及もないところに、そのごまかしがある。
〈ちなみに長期雇用・年功賃金という旧制度は生涯所得への予測を安定させる作用があるため個人消費を堅調なものとしていたし、年功制は(高橋伸夫『虚妄の成果主義』日経BPが解釈するように)基本給が年齢に応じて上がるだけでなく、成果に対して金銭ではなく「次の面白い仕事」で報いる制度だった。/そこには競争がないわけではなく、仕事で高い評価を得た者が次のやりがいある仕事を与えられる、ないしは出世をするというルールだったのであり、賃金には生活保障的な意味しかなかった。「年功」を強調すると、年齢によって給与が上がる点に特徴があるかに聞こえるが、むしろ成果の対価として面白い仕事を与える点が重要だという見方だ。/ここからの比較で言えば、成果主義の暗黙の特徴が浮かんでくる。それは「人を金銭だけから仕事の動機付けを受けるもの」という考え方である。〉(松原隆一郎「成果主義はやがて行き詰まる」、「中央公論」06.8所収)
つまり、戦後の日本型雇用とは、成果を出した人には「面白い仕事」や出世を与え、成果は出せない人であっても「努力」をしたという人にはそこそこ生きていける賃金くらいは保障されていたシステムだったというわけである。
番組の冒頭でキャスターが「戦後日本は額に汗して働けば報われるはずの社会でした」と述べたことに対応するもの、すなわち最低限度の生活保障が、いまの社会にはなくなってしまいつつある(そしてその支えの消失は、強い者がその支えを食い荒らすことで起きている――後述)。
なるほど番組に出てきた人たちは「成果」が出せなかった人ではある。しかし、それなりに「努力」はしてきた人たち、少なくとも汗は流してきた人たちだ。「額に汗して働けば報われるはずの社会」という、戦後日本にあったとみなされている倫理に照らし、その人々が救われていないことに、多くの人が衝撃を受けているのだ。
「ワーキングプア」の増大が投げかけている問題とは、「すべて格差をなくして完全な平等にしろ」という問題なのではなく、一定の努力と汗をかいたら、最小限度の生活が保障されるというシステムをどう再構築するかという問題なのである。
前にも紹介したが、たとい格差が拡大しようとも、一定の不公平感は生まれるだろうが、その拡大そのものが問題なのではない。「不平等は、社会の他の構成員の不利益を招かない限りにおいて、是認される」というロールズの正義論を裏返すなら、基準以下の貧困層が増えていくことが問題なのだ。(※2)
ワーキングプアを生み出す社会構造を、この番組がどうとらえたのかを、ぼくの独自の見解も補足しながら、もう一度まとめておく。
まず、都市であるが、企業がコスト削減のために、正社員を抑制・リストラし、徹底して収入の低い非正規雇用におきかえたことである。
次に地方であるが、かつてコメづくりなどでは価格の下支えがあり、農業には一定の所得保障があった。しかし、WTO体制のもとで一気に自由化と市場化の波に洗われ、農業では生活できなくなる。もともと農業では生活できない分があったが、その部分を「公共事業」という形で、税金の再分配を地方にしていた。そこで発生した雇用によって、農家は一息つけたのである。そして、その「近所の商店主や農家を顧客にしていた」と鈴木さんのところのナレーションであったように、そのお金は地域を循環して商店街などの原資になった。こうした条件がすべて崩壊したのだ。
くわえて、社会保障が徹底して切り詰められている。給付はすでに生活を維持するには厳しいほどになり、生活保護が必要な人には給付されないような条件が課されている。それどころか、保険料・利用料などの調達が、逆に、貧困層を追いつめているのである。
この番組を見た人が「市営住宅で空きがあれば、就職するまで無賃で貸与することはできないのだろうか」と新聞に投書していたが(西日本新聞06年7月27日付)、たいてい公営住宅は、単身者で入るには、高齢者か生活保護受給者でないとダメだ。
しかし、短期の雇用をくり返していてはまた同じことのくり返しだから、この間に技術を覚えて抜け出す必要がある。
日本版デュアルシステムの活用が頭に浮かぶ。デュアルシステムは働きながら学ぶ厚労省のシステムで、まず有期で働きながら、比較的低廉に職業訓練を受けることができ、技術が身につけば正社員になる道が開かれる。ただし枠が異様に少ないのと、すでに非正規でいながらもう少しスキルがあれば……と思えるような人にしかいかないので(受講には試験がある)、小山さんや岩井さんのような人が受けることはかなり難しいのだろうかと思える。
現行の生活保護は何もかも身ぐるみ剥がされてはじめて受けられるものになっているのだが、放送大の宮本みち子が番組でのべていたように、「一部困ったら生活保護をもらっていいよという柔軟なものに変える」必要がある。
地方の中小業者は技術は一定あっても、営業や経営がへたくそだ。ましてや70をこえた鈴木さんにこうしたニーズに出会う機会はまずないと見ていい。
地域単位で商店がまとまって組合をつくり、一定の拠出をし、営業担当を雇ってこうした注文を集め、割り振るというのはどうか。墨田区などでは区職員が地元中小企業PRに動いているというが、中小業者や商店街を地域を支えるリソースとみなし、そこに一定の公的なカネやヒトを投入してもいいかもしれないのだ。
※:へき地をコストの面から切り捨てようというメンタリティは次の論考がよく言い表わしている。
〈日本には山の上の一軒家でも必ずサービスするユニバーサル・サービスが七つある。警察、学校、道路、郵便、電力、新聞、そして戸籍などの行政業務である。……中略……これまで日本は、人口のわりに土地が足りないし、今後も人口が増えると予想していたので、人間の住めそうな土地には、これから居住者が増えるという前提で七つのサービスを行きとどかせておかなくてはならない、と考えていた。しかし、これからは人口が減って土地が余るので、生産性の低い所を可住地にする必要はなくなっている〉(堺屋太一「業界トップ一〇〇人、争奪戦の時代」、同前)
(1)最悪なのが「最低賃金」(これ以下にしてはいけないという国の定める基準)で、平均で時給668円しかない。これで生活などできない。最賃は、生計費、類似の業種の労働者賃金、企業の支払能力の三つを考慮しないといけないのだが、実際には支払能力しか考慮されていない。生計費は完全に無視されている。
(3)佛教大学の金澤誠一教授は、人間らしく生活するうえでの最低限の費用を試算した。〈最低生活費を「単なる生命の維持の水準でなく、今日の生活様式、慣習、社会活動を満たしうる生活の最低の社会的再生産の水準」と規定。社会的孤立を防ぎ、自立した生活した営めるように、必要な交際費や余暇生活に必要な費用も「つつましい額」で算定。受験を控えた中学生の学習塾費や冠婚葬祭用の礼服も計上しました。/住宅は民間借家とし……中略……車は持たず。持ち物は七割以上の人が保有していれば生活必需品とみなし、買い物先の価格を調べて算定しました。臨時の出費の備えなどに消費支出の一割を加えました。これらを「マーケット・バスケット方式(全物量積み上げ方式)」と呼ばれる手法をとり、中年夫婦の場合で約三百五十品目を積み上げて算出しました〉(しんぶん赤旗06年7月17日付)。これによると自立できる生活は右のとおりで、時給になおすと1112円となった(最低賃金のほぼ倍)。
共同通信などが06年7月27日に配信したニュースによれば、キヤノンの6月中間決算で純利益22.2%増となり中間期として過去最高を更新、4期連続で増収増益となった。デジタルカメラなどが好調なのだという。キヤノンは経団連の現会長を輩出しているいわば財界の総本山である。
記事は偽装請負(形だけ請負にして実際は派遣であるもの)の実態を深くえぐりだし、キヤノンのデジタルカメラ工場の労働実態を追いつつ、「労働コスト圧縮の柱」「年収200万円程度 結婚もままならず」など、業務請負という働かせ方がいかに「使い捨て」の搾取対象かを書いている。「大分キヤノンは昨夏、偽装請負があったとして、大分労働局から改善指導を受けた。だが1年たった今も、違法状態は完全には解消できていない」「キヤノンは子会社だけでなく、宇都宮の本体工場も昨秋に指導を受けた」。キヤノンだけでなく、ニコン、松下、富士重工などの関連会社がずらずらとあげられる。(※「キャノン」ではなく「キヤノン」だと指摘を受け訂正。ご指摘ありがとうございました)

 

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