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曜日とは?/ キャッシュワン

[ 67] 曜日の話(前半)
[引用サイト]  http://enkan.fc2web.com/zatu/24.html

さて、今あなたが座っている部屋を見回したとき、そこに暦表[カレンダー]はあるでしょうか。 暦[こよみ]は、私たちの生活にとって欠かせないものです。もしも暦がなかったら、毎日はただ ダラダラと流れていくだけのものになり、生活は単調で味気なく、仕事や勉強は区切りがつけづらくなってしまうことでしょう。
ひとくちに暦と言っても、その成立や種類は複数あって世界各地で異なるものが採用されており、その体系内に含まれる細かな区切り・単位も、実に様々存在しています。とはいえ、あなたの部屋のカレンダーを見ればお分かりのように、現代日本で一般的に使用されている暦の単位は、「年」「月」「週」の、概ね三種類ですよね。
結論から言いましょう。「日を七日ずつに分け、頭から日曜・月曜・火曜・水曜・木曜・金曜・土曜と呼ぶ」という「七曜」の概念は、平安時代の昔からちゃんと日本に存在しており、暦表[カレンダー]にも書き込まれておりました。
ただし、現代のように実際の生活のサイクルとして扱われるようになったのは明治の改暦以降で、それ以前はもっぱら「占い」に使われているものでした。今の暦表[カレンダー]にも、たまに「先勝[せんしょう]」「友引[ともびき]」「先負[せんぶ]」「仏滅[ぶつめつ]」「大安[たいあん]」「赤口[しゃっく]」の六曜が書き添えられていることがあり、縁起のいい日・悪い日の判断材料に使われますが、かつての七曜もまさにこんな感じで、例えば江戸時代の暦を見ますと、曜日ごとに「縁起がいい/悪い」、「○○をするに向いていている/○○をするには向かない」という意味が付けられて書き込まれています。
七曜は、平安時代の初め、弘法大師空海が様々な密教経典と共に唐から持ち帰った『宿曜経[すくようきょう]』によって初めて日本に伝えられたと言われています。宿とは二十八宿(中国の星座)、曜は七曜(日月五星)のこと。七曜・十二宮・二十八宿の関係によって日々の吉凶を占い、また、生まれた日のそれらを調べることで一生の運命を占う、つまりは星占いの本でした。七曜は『宿曜経』が伝えられて間もなく具注暦(朝廷で毎年編纂される暦)に取り入れられ、その後一般化して、江戸の暦にまで付記されるようになったわけです。
『宿曜経』はインド経典の翻訳ではなく、インドから唐に帰化した僧・不空が、己の持つインド由来の天文・占星術系の知識を新たに文書に書き起こしたものだと言われます。不空がサンスクリット語と中国語を交えて口述し、弟子の僧・史瑶が中国語で翻訳記述するという形式の作成でした。
ただし、史瑶の翻訳はあまり評判がよくなかったらしく、五年後に楊景風によって改訳され、注釈が付けられました。
七曜の知識は不空がインド西部の僧から教えてもらったもので、幾つかの「あちら」の言語で七曜名を書き並べた後、対訳として現代日本でも使われている「日曜・月曜・火曜・水曜・木曜・金曜・土曜」の名が出てきます。実は、この名称が使われたのはここが初めてなのだそうです。(他に、「火精・木精」といった表現もされていたようです。)
当時の中国では、五惑星を「歳星」「惑星[けいこくせい]」「鎮星」「太白星」「辰星」と呼んでいました。そして万物は木・火・土・金・水の五つの性質によって形作られ影響し合うという五行思想によって、歳星には木、惑星には火、鎮星には水、太白星には金、辰星には土の属性を当てはめていたのです。翻訳者は西方で七曜とされる星々が中国で何と呼ばれているのかちゃんと知っていて、しかも少しひねって「木・火・土・金・水」の五行の名で訳したのですね。
不空に七曜の知識を授けたという西インドの僧は、インドから更に西方の世界の知識を持っていたのでしょうか。いずれにせよ、ソグド語の「日曜」が日本にまで伝わっている点から見ても、七曜の概念がペルシアなどオリエント文化圏に存在していたのは間違いありません。
唐から日本に伝えられ、明治に西欧の七曜に出会うまで一千七十年弱。その間計算間違いされることもなく、出会った時に西と東で曜日がぴたりと合っていたわけですから、ちょっと見事だという気がします。遠くユーラシア大陸の端と端、西欧と日本に同じものが伝わっていた。七曜は、一体どこで、いつ誕生したものなのでしょうか?
遠い昔、人々は星の動きを読み、それによって万象の変化を定義し、法則を作り、秩序付けを成そうとしていました。暦は星の動きが大元となっており、天文学とは切っても切り離せないものです。前回話題にした十二支がそうであったように、七曜もまた、星の動きにちなんで作られた時間の単位なのです。
現代の私たちは、私たちの住む地球が広大な宇宙に浮かぶ星の一つであり、水星・金星・火星・木星・土星・天王星・(冥王星)・海王星らと共に太陽の周りを巡っている、太陽系の第三惑星だということを、当然のように識っています。けれども、大昔の人々は まだそれを知りませんでした。彼らは、地球は不動の大地であり、その周囲を太陽や月やその他の星々が巡っているのだと考えていました。太陽と月は特別の星。それ以外の星々はそれぞれ定められた場所を定められた動きで巡っている……と。
ところが、中に、それらの法則とは合わない動きをする星々がありました。水星・金星・火星・木星・土星の、五つの大きな星です。(この頃はまだ、天王星・(冥王星)・海王星らは発見されていませんでした。) これらの星はあまり瞬かず、決められた軌道を巡らず、時には惑い歩き、時には足踏みをしました。人々は、これらの五つの惑星[まどいぼし]も、太陽や月と同じように、神の意思を受けた特別な星なのだと考えました。そこで、それぞれの星を神になぞらえて その名で呼び、これら神の星の動きによって神意を測り、地上の様々な事象や人の運命を読み解くことができると信じたのです。
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こうした西洋占星術の発祥の地であり、太陰暦を使っていた古バビロニアでは、新月を起点に数えて二十八〜三十日まで(月が満ちてまた欠けるまでの一巡り)を一ヶ月とし、一ヶ月の中の七日目、十四日目、二十一日目、二十八日目を休日としていました。この日は不吉な日で、よって仕事は休まなければならない、とされていたようです。
どうして七日ずつで区切ったのか? それははっきりしていません。日月と五つの惑星……「聖なる七つの星」の数にちなんだのだという説もありますし、あるいは、月が満ち欠けてちょうど七日ずつで「新月」「上弦」「満月」「下弦」と大きく姿を変えるので、それからきているのだ、という説もあります。
ともあれ、この「六日働いて一日休む」慣習が、新バビロニアに囚われて奴隷にされていたユダヤ人たちにも浸透し、やがて彼らが解放されて世界に散らばると、慣習も同じように広まっていったと言われています。なにしろ、ユダヤ人たちは「神が六日かけて世界を作り、七日目に休んだ」という神話を持っていましたので、この神話にぴったりの「週」は、ユダヤ教を広めるのと同時に広がり定着することになりました。
ユダヤ人たちがバビロニアと無関係に元々そういう神話や暦を持っていたのか、バビロニアでの慣習が基になってこの神話にアレンジされたのか、どちらなのかは分かりません。ユダヤ人たちの『旧約聖書』と、バビロニアのカルデア人たちの神話は比較神話上類似を示しており、両者の文化・宗教には関連があるとされています。
「週」の概念はギリシア(と、ギリシアに支配されヘレニズム化していたエジプト)にも伝わり、ギリシア人たちに気に入られました。というのも、彼らも「七」を神秘の数・聖なる数として尊重していたからです。(概ね、オリエント文化圏では七を聖数としたようです。インドは九、中国は五。)やがて紀元前二〜一世紀頃にローマ暦に導入され、西暦四年にローマのコンスタンティヌス帝によってキリスト教公認になりますと、キリスト教の伝播と共にヨーロッパ中に より強固に広まり、一方では中央アジアを経て中国、そして日本へ伝わることとなったのでした。
説によってはバビロニアとも、ギリシアともいいますが、AD160頃の歴史家ディオ・カシウスは『ローマ史』の中で「(BC63に、将軍ポンペイウスがユダヤ人たちが安息日に仕事をしないことを利用してエルサレムの神殿を占領した、という記事に付して)日々を七つの星に当てはめる慣習はエジプト人によって始められたもので、現在はローマ人をはじめとして一般に普及しているが、私の知る限り古代ギリシア人には知られていない、比較的新しいものである」と書いています。
この頃、日月五星は、地球から遠い方から「土星、木星、火星、太陽、金星、水星、月」の順番で並んでいると考えられていました。占星術では一日二十四時間の一時間ずつに、地球から遠い順に(遠いほど力が強いとされたため)日月五星を当てはめ、その時間をその星が支配する、と考えていたのですが、そのようにして順番に延々と当てはめていきますと……。
その日の第一時間目を支配する星が、その日一日の総支配をする、と考えられていましたので、「第一時間目が土星の日は、土星に支配された日」となり、「土星の日」と名づけられた、というわけです。
これは歴史家ディオ・カシウスが『ローマ史』の中に記した説の一つで、おそらく現在最も知られ、支持されているものです。また、カシウスは前述の説の前に、自分が聞いたことのあるもうひとつの説明として、「音楽の基礎である四度音程[テトラコード]の原理を惑星に適用し、土星から並べて間を二つずつ飛ばす」というものを紹介しています。
カシウスが挙げた二つ以外にも説は様々あるようで、たとえば、ミャンマーの占星術では、一日を「日の出」「正午」「日没」「深夜」の四期に分け、例の「土星、木星、火星、太陽、金星、水星、月」の順に四つずつ並べていくと、日ごとの順番が「日、月、火、水、木、金、土」のサイクルになる、とされているそうです。この場合、巡る順番を逆から見ないといけないのですが、なかなかシンプルで分かりやすくはあります。
以上、諸説あって定まりませんが、「土、木、火、日、金、水、月」の順に並べて右に二つ飛ばし(二十四時間に当てはめる方式でも、二十二番目の星が必ず一番目と同じになるので、つまり右に二つ飛ばしの法則となる)、もしくは左に三つ飛ばしの法則を当てはめれば、「土、日、月、火、水、木、金」のサイクルが導かれる、というのが共通見解のようです。
このようにして七日一期の「週」には七つの星の名前が付けられました。前述しましたように、占星術から日月五星には守護神が与えられておりましたので、ギリシア・ローマではそれぞれの日を対応する土着の神の名前で呼んでいました。この呼び方がそのままヨーロッパの国々に広がっていったのです。

 

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